「読書会ノート」 谷崎潤一郎『細雪』

 谷崎潤一郎 『細雪』

今村芙美子

 

谷崎潤一郎の先妻の取り合いが谷崎と佐藤春夫に大正の終わりから昭和の始めにあったことは、新聞に載る程度話題であったことはうすうすながら知っていた。先妻は佐藤春夫と再婚した。失意のうちに東京を離れた谷崎はようやく大阪で息を吹き返す。その後、少し傾き始めた大商人の美しい人妻と出会い再婚する。美しい妻、松子姉妹をモデルにし、三人姉妹、幸子、雪子、妙子を主人公にした小説が「細雪」である。(出版され始めたのは戦前、戦時中には一時中断、戦後直ぐに続きを出版し、話題になった。)

名家の旧家、蒔岡家の娘達は、お茶、琴等の日本文化を下地にした自然な作法を身に付けた、外国の奥さんとゆとりを持って付き合える程教養もあった。年中行事の一つ、三姉妹の和服での花見姿の華やかさは櫻に負けぬ程であった。しかし、彼の女達は傾きかけた名家の名前を必死に守る運命の渦の中にいた。開放的で人の良い幸子は、妹達の結婚が思うように行かず、心を痛めていた。三十にもなる雪子は内気でおとなしいが、柳のような強さがあり頼りになるが、案の定男性とまともに話ができぬ程でお見合いもうまくいかない。末の妙子は経済力のない恋人が居、彼のために職を持つ人だと張り切る器用で行動的な現代娘で、蒔岡家からはみ出しそう。幸子には妙子の心の中が見えにくい。このような母親代りの幸子は妹たちへの悩みを、柔らかな大阪弁での独り言を数ページに渡り一気に繰り広げるのだが、谷崎の生理的とも言える女性心理を覗かせる言葉の表現の巧みさに舌を巻く。

さて、妙子に想いを寄せる別の男性が現れる。関西台風で、妙子はあわや遭難という時に、その男の死に物狂いの努力で九死に一生を得る。それが縁でその男性と恋人関係になるが、幸子は身分が違うと二人の結婚を認めない。その後、何ということだろう、その男は本当に運悪く壊疽により命を落とす。正直、幸子のほっとした気持ち、妙子の悲しみが時の経過とともに急速に薄らいで行くあっけらかんさ。私は読んでいて谷崎の心に不審を感じた。だが、「細雪」結末の方で、待ちわびられた雪子の大事なお見合いに、妙子は巡りあった実直な男性との子どもを懐妊したのを秘密にしたまま、二人の姉と一緒に東京への長い旅をする。その後、幸子の知るところとなり、妙子はひっそりと身を隠し、お産を待つ。しかし、華やかな雪子の結婚式と並行し、妙子の赤ん坊は死産してしまう。それは妙子が命の恩人でもあった二番目の恋人の不幸な死に様に対し、妙子流にお返ししたことになると私は気付いた。妙子はその後、あの実直そうな男と細やかに結婚生活に入る。雪子が新しい生活のために東京に向かうが、汽車の中で下痢が止まらない。で、この小説は終わる。谷崎が佐藤春夫との確執から抜けきれず、東京を忌み嫌ったかなと思う。

(2003年 4月号)