映画『リバーランズスルーイット』 大柴譲治
監督はロバート・レッドフォード。モンタナの美しい自然の中で過ごす一組の牧師家族・マクリーン一家の物語である。私にとっては20世紀初頭の米国での牧師の働きをかいま見ることができて興味深かった。古きよき時代の物語ということになろうか。レッドフォードは俳優としても有名であるが、『モンタナの風に吹かれて』にしても監督として優れた手腕を見せている。
それにしてもなんと美しい映像であろうか。DVDはそのこまやかな表情まできちんととらえている。ビデオの比ではない。プロジェクターやモニターなどの調整用にもこの映画の映像が用いられることが多いと聞く。川面から立ちこめてくる霧であるとか、金色に輝きながら飛び交う虫であるとか、フライフィッシング(毛針釣り)のしなやかなさおと糸の動きであるとか、すばらしい映像でありカメラワークである。1992年のアカデミー撮影賞を受賞したということも首肯できる。
ノーマンとポールという性格の異なる兄弟が描かれている。やがて大学の英文学教授となってゆく長男ノーマンは真面目だが融通がきかない。父親の期待は大きい。他方、新聞記者となったブラッド・ピット演じる次男のポールは反対に天才肌の自由人であり、枠にはまることがない。父親を越えたフライフィッシングの天才性がやがてくる悲劇を予感させてゆく。真面目な牧師家族の中にあって、ユングの言う「トリックスター」役を演じてゆく。牧師の子供は”PK” (Pastor’s Kid or Preacher’s Kid)と呼ばれる。私自身もPKであるが、未解決の問題を抱えている場合が少なくないのでPKをProblems Keeperと私は理解している。
長老教会の謹厳実直で禁欲的な牧師である父親の姿は、ノーマンに作文を教えるところにもよく表れている。ノーマンの書いた文章を何度も「この半分にしなさい」と言って書き直させる父親。そのような父親も唯一フライフィッシングはこよなく楽しむ。「神の作られた創造の世界にはリズムがあり、それに厳密に従わなければならないフライフィッシングは神の御心にかなう行為なのだ」としてメトロノームを使って小さな子どもたちを訓練する父親の姿はユーモラスでもある。父と子が獲物の大きさを競い合うこともほほ笑ましい。別の場面では、父親と二人の小さな息子が川辺を散歩している。父親はかがんで川石を手に持ちこう語る。「雨が地を固め、やがて岩になった。5億年も前のことだ。だがその前から岩の下には神の言があったのだ。それに耳を傾けてみなさい」と。幼い兄弟は耳を澄ませてその響きを聴きとろうとする。印象的な場面である。
この映画の題名『一本の河はそれを貫いて流れる』の「それ It」とは何であろうか。原作はノーマンの書いた『マクリーンの河』。マクリーン家の歴史ともモンタナの美しい自然の世界ともとれるが、私は「神のみ言」と取りたい。神の創造のみ言の中にすべての生命は川のように流れているのだ。
ポールを亡くした後の父親の説教の中にこのような言葉があった。「完全に理解することなしにも人はその人を完全に愛することができる」。自分の息子を理解しようとして理解することができなかった父親の愛が悲しくも浮かび上がる。A river runs through itである。最後の「この映画のために私たちは一匹も魚を殺しませんでした」というテロップにも、自然環境を大切に守り続けようとする人々の熱いメッセージを感じた。
(2002年 6月号)