二葉亭四迷 『浮雲』
廣幸朝子四迷の「浮雲」は言文一致の文章によって日本文学史上重要な作品であると、高校時代に教えられた。近代知識人の苦悩を描いて、近代小説の先駆であると。なにか鬱陶しそうな本だと思っていた。
四迷はロシヤ文学に触発され小説も社会と対決すべきだという意欲でこれを書いたという。ますます肩がこりそうではないか。しかし読んでみると、なにやらおかしな本だった。知識人といっても私塾を出たばかりの下っ端官吏の卵であり、苦悩というのは、上司に取り入ることが出来ずに(本人はそう思っている)リストラされ、そのために下宿さきの奥さんに冷たくされ、その娘からも袖にされるということである。
文章も江戸の戯作文学の名残か、落語か講談のような語り口でいささか品位に欠ける。読書会ではここに描かれた明治の庶民の風俗が話題であった。男達は新しい時代にオタオタしているのに、女達は女中にいたるまで、やけにハツラツとして怖いものなしである。奥さんは株をやっているし、娘も英語塾などに行って、「嫁いることがなんの手柄か、ネコがネズミをとったほどにも思わない」のである。英語が唐突にやたら出てくる。アイドル、リベンジ、イルージョン等々。平成の今と大差ないのである。この本の20年前が江戸時代であったとは信じ難い(「浮雲」初版 明治20年)。
(2002年2/3月号)