「読書会ノート」 灰谷健次郎 『天の瞳』

 灰谷健次郎著  『天の瞳』

廣幸 朝子

 

現代の日本の子供は、世界的にみても、歴史的にみても最も幸運な状況にいるといえるだろう。飢えや寒さに苦しむこともないし、お金がなくて医者に診て貰えないということもない。教育は保障され、労働に追い立てられることもなければ、ましてや戦争に駆り出されることもない。しかし昨今の子供に関わる報道を見ていると彼らは全然幸福ではないように思われる。

子供達にとって何が幸せなのか、どんな生き方を、どのように伝えればいいのか……。いまどきの児童文学はどんなメッセージを送っているのかと、灰谷健次郎の作品をとりあげてみた。いくつかの難点のため、完成された文学とは言い難いが、作者の子供への愛情、教育への熱意あるいは、公教育への懸念など、意図は十分に伝わる力作である。

多くの読者は主人公倫太郎の、一見腕白ではあるが筋の通った自己主張、まわりの者へのさりげないおもいやり、本物を見抜く力などに共感していくと思う。しかしこれらは、もともとどの子ももっているものなのだ。それを幼児期にどの様に育ててやるかが、その後の人間形成を左右すると思う。倫太郎の親も、保育園の園長も、子供の人格をまるごと、よしと受け止め、行動よりもその心の動きを理解しようと努める。子供達は自分を認められることで自信をもち、自分の責任で歩き始める。そして、受け入れられ、愛されることで、人に心を開いて行く。仲間ができる。倫太郎の成長に重要な役割を果たす人として大工の棟梁だったおじいさんがいる。彼は孫に媚びることなく、子供とて侮ることもなく、身近な道具や、木や草、人の体を例に使いながら、人生観、仕事観を分かり易く語る。おじいさんの釘討ちの腕前に目をみはることから始まって、倫太郎は真剣に耳をかたむけるのである。

教会の半数以上の人は孫をもつ年頃だと思うが、プレゼント や、お年玉をあげる役ばかりでなく、「子ゆえの闇」に迷っている両親に変わって人間や世界を語って欲しい。人生の先輩として、生き方の手本となるべく毅然と生きて見せて欲しい。そしてそれを自分の孫だけでなく、通りすがりの少年達にも示してやってほしい。彼らも、きっとそいう確かな大人達を求めているのだから。

(2000年 7&8月号)