「読書会ノート」 三田誠広 『地に火を放つ者』 トレヴィル

 三田誠広著  『地に火を放つ者~双児のトマスによる第五の福音』 トレヴィル

松井 倫子

 

次回はこの本と読書会で決まって、「素敵な題名ネ」位の気持で近くの図書館に本の取り寄せを頼み、待つこと数日ようやく手にして表紙を見てびっくり。これには大変な副題がついていたのです。六八九頁の大部の本は、他の福音書同様主イエスの公生涯、復活され弟子達に会われるまでの言動と出来事を記していますが、それは幼い日から教会に通い語られる言葉を聞いて育った私が心に描くイエス像、聖書の世界と大きく異なり、「奇想天外」と思えるものでした。「男」と表現されるイエスが、私、あなたではなく、俺、おまえという言葉をお使いになる。殆ど病的と感じられる程の葡萄酒びたりの様、イエスとトマスの関係も独特で、弟子達、女性達の設定も聖書とは大分違うのです。敬虔なクリスチャンなら不快感を覚えるのではと思いました。でも何か私の心をつかむものがあったのです。

さて読書会当日、大柴先生から、実際一九四五年にエジプトで写本が発見された異端として排斥されたグノーシス派の立場から編まれた『トマスによる福音書』があること、著者もそれをヒントにしていることを学び、話し合いでは、「既に沢山の研究に裏付けられた本があるのに」と評価しない声がある一方、「強い人イエスを感じた、聖書に書かれていることの流れがよくわかる様になった」との感想もあり、私は戸惑いながらもこの本に惹かれる気持を、「著者が聖書という大きなテーマに挑戦された労を多としたい」と読書会ノートに書きました。

幸い一月二三日付朝日新聞の著者新作紹介記事により、著者が十台の半ば過ぎ聖書や仏典に親しんだこと、新作のテーマは思想家としてのアインシュタインで、彼にイエスや釈迦と同じような孤独感があったのではないかと考えていること、人間とは何か、いかに生きるべきかを問い続けてきた三田ワールドからの新たな発信であることを知りました。『僕って何』で芥川賞受賞の著者は、大変な知的探求心の持ち主だったのです。

幼き日、疑いもなくキリスト教を受け入れた私にとって、イエスははじめから神の子イエスでした。しかし大人になってキリスト教に向きあう人には、歴史で習う実在の人イエスがまず問題となるでしょう。著者は、成長するにつれ自分が他人と違うこと即ち大変な使命を与えられていることに気づくイエスの心の葛藤を、そしてついには十字架の受け入れまでを、綺麗事でなく徹底的に人間イエスの視点に立って書いています。私は著者の筆の力によりこの世を生きられたイエスだけでなく取り巻く人々の心の躍動感までを感じました。小説という際どい手段を用いているにも拘らず、著者は復活昇天されるまでの主イエスの人類救済の歩みをきちんと押さえ、よく聖書が伝えたいことを書いていると思います。しかし、一点、ゲッセマネと十字架上でイエスが神に語る言葉には、神学上の問題、即ち三位一体の神イエスの視点がないことからくる無理があり、信仰者の立場にない作家の作品の限界があると思います。

今回はそうした作家の作品である上、異端の問題もあり難しさがありました。著者は今大学で教えながら、原理やオウムなどの団体が後を断たない時代を若者達と共有しています。聖書は隠れたベストセラーといわれ種々の聖書物語も出ています。私達は信仰を曖昧にすることはできないが、聖書を一冊の書物として読みそこから良きものを汲み取ろうとする人を認め、無視や非難ではなく対話を以て、共にこの世に仕えるようになりたいと思います。

(2000年 3月号)