司馬遼太郎 『菜の花の沖』 文春文庫
堤 毅「菜の花の沖」ーこれは船頭「高田屋嘉兵衛」の一代記である。読書会としては司馬の国民文学作品は二回目である。司馬の長編の中でこの作品は、中小の図書館や書店には置いてない場合が多い由。
昭和54年4月から新聞に連載された文庫本六冊になる長編である。四・五巻でロシア情勢を延々と延べる所では出席者一同からなんとかも少し短縮できないかとのボヤキが出た。
ここで嘉兵衛の一代記を詳述するのは省略するが、貧農から身を起こし学歴がなくとも、彼を捕えたロシア人のリカルド海軍少佐をして「どういう状況下でも言葉にうそがなく快活で度量が大きく聡明な人物」といわしめた。彼こそは江戸日露外交史上民間人でありながら、対等に日本の立場を表明して国威を発揚した逸材といえよう。
尚司馬は一代記を通じていくつかの考察を挿入している。即ち
1.江戸時代の人間関係 (士・農・商)
2.現代の日本人ももつ「意地悪」の淵源
3.江戸期の商品経済 (酒・米・魚肥)
4.和帆船の航海上の欠点 (幕府の大型船建造禁制による)
等である。
此の中で2についての発言が多かった。
嘉兵衛は、先ず「若衆宿」の異分子として「村八分」にされ故郷を出て船乗りを志して水主(かこ)から始めて漸く雇われ船頭になったが株仲間の新参者としてずっとのれんを借りて航海・商売をせざるを得なかった。
更に船持ち船頭から御用船頭となっても幕府の下っ端役人に軽んぜられ、揚げ句の果てロシア側に、幕府のゴローニン艦長抑留に対する報復として捕えられる。
「意地悪」は日本軍隊の古参兵による新兵いびりー更に職人社会から牢屋にまで及んでいた。この風潮は現在の学校生活にも陰湿に蔓延している。
この習性は日本のみの現象だと司馬は述べているが果たしてそうであろうか?いずれにせよなかなか払拭しがたい難問との意見であった。
日本の永年の懸案である北方領土問題についてこの小説の中で詳述されている四島の歴史的経緯は、私達の参考となろう。
(99年11月号)