「読書会ノート」 バルザック 『ゴリオ爺さん』 新潮文庫ほか

バルザック 『ゴリオ爺さん』 新潮文庫ほか

今村 芙美子

 

19世紀のパリの一角のあの古びた気の滅入るような下宿屋ヴォケー館には、女主人と二人の使用人以外、哀れを誘うゴリオ爺さんとこの物語の主人公ラスティニャック、怪しい中年のヴォートラン、その他数人の下宿人達が住んでいた。ふとしたことでラスティニャックはゴリオ爺さんの二人の娘が、レストー伯爵夫人と銀行家のニュシンゲン男爵夫人であることを知った。そこで、彼はその夫人達を利用して自分の遠い親戚のポーセアン子爵夫人に会う機会を得、上流社会に乗り込もうと遠大な計画を夢想し、立身出世を実現するために行動を開始する。

ここで私達は、フランス革命後というのにまだ上流社会の力が強いのに驚いた。バルザックの時代は、王統派と自由派の勢力の争いの中で金持ちの商人は娘を上流社会の人と結婚させることができ、上流社会にお金を循環させる仕組みがあったのだろう。また、元貴族の貧乏学生がパリの上流夫人にお気に召されれば、パリで名声を持てたのだろう。事実、バルザックもベルニー夫人や公爵夫人に才能を認められ出資を仰ぐこともあった。

さて、ゴリオ爺さんは鋭い勘を持って製麪業者として成功したが、結婚後7年で妻を亡くし寂しさ故に二人の娘を溺愛し、お金の力で娘達は幸せな結婚が出来たと思い込んだ。二人の娘は父親にお金を無心し、父親は喜んで応じ瞬く間に貧乏となり、ヴォケー館の二階から貧しい人々の住む四階の住人に格下げされた。読書会の男性の方が「これは単なる親ばかの話」とおっしゃったが、ある女性は「これは悲しいけれど、親というものの本質を突いているのよ」とおっしゃる。理性では届かない親の情の深さを感じる。

さて、バルザックは次のように言っている。「社交界の野心家が、体面を守りながらもその目的に到達するために、悪と紙一重の際どい所まで歩きながら彼の良心を辿らせていく紆余曲折を描いた作品も美しく劇的なのではあるまいか」と。つまり『ゴリオ爺さん』とそれに続く『従妹ベット』の中のラスティニャックの生き方を謳歌している。バルザックの言葉のとおり、ラスティニャックはゴリオ爺さんの娘や美しい夫人達の悩みを聞き、一方で彼等を無意識の内に操っている。ヴォケー館の住人のヴォートランの悪魔の誘いのような囁きに息をのみ、おぞけながらもそれに共鳴してしまうところもある。

しかし一方、友人の医学生と一緒に病床のゴリオ爺さんを看病する。死の床で娘達に見放され、娘の育て方を間違えたと嘆くかと思えば、可愛い娘達はきっと来てくれると身も心もずたずたの老人の姿に心を揺り動かされたラスティニャックは、窮死の老人のためになけなしの金を払い葬式を用意し涙を落とす。そして、彼は上流社交界の唸りあげる蜜蜂の巣に挑戦する視線を投げ、ニュシンゲン夫人宅へ向かう。ここでこの本は終わるのである。

矛盾混沌を飲み込む作品だが、35歳の時のバルザックの老成ぶりが窺える。バルザックは16巻の「人間喜劇」を書いたが、ラスティニャックとニュシンゲン男爵銀行家は『従妹ベット』に再登場し、ヴォートランはまた悪役として数巻に再登場する。ヴォートランはバルザックの分身かとも思える。