「読書会ノート」 妹尾河童 『少年 H』 講談社

妹尾 河童 『少年H』

97年 9月   今村芙美子

 

少年HのHは、名前の頭文字であり、母親が息子のセーターに編み込んでいるのを見て、小学時代の友達が少年につけたあだなである。この本は洋服仕立て業の父、熱心なクリスチャンの母、心優しい妹と神戸下町に住んでいたHの小学1年~中学5年(昭和11年~昭和22年)迄の成長の過程を綴っている。好奇心旺盛で、感性豊かなHは外国人も多くハイカラな神戸を舞台に面白い少年時代を過ごす。忍び寄る戦時色、軍国主義、戦争、敗戦、その後の混乱の環境の中で人情味豊かな周囲の人々と交じりながら、逞しく成長していく。

クリスチャンの母親は子どもには小遣いは無しと小学4年迄Hは我慢させられたが、父親は助け舟を出した。Hが知恵を働かせ、学校で小さな糊屋を友達を客にし、お小遣いを生み出す機会を与えたのだ。母親には内緒であった。Hは好奇心旺盛でいたずらも絶えなかったが、又質問も多く、それに答えてくれるのは父親だった。Hは知識も知恵も父親に貰って行く。戦争が激化して、新聞も真実を充分に載せなくなっても、父子は新聞を拡げ、新聞の記事の向こう側の真実を気付かせた。この洋服仕立て屋のしたたかな生き方「自分で判断して自立して生きる」は息子に継がれて行った。

中学になり反骨精神も際立つ頃、Hは相性の悪い教師や理屈に合わない教師に歯向かい、白紙答案に指のデッサンを描き、嫌味な態度をさんざん繰り返した。Hは気にもとめなかったが、卒業には出席日数は足りなかった。しかし職員会議でHの中学5年の卒業は無事許可された。理由は「学校の成績だけでは計り切れない個性を持った生徒」と言うことだった。Hがこの世の不条理にいきり立っても周りの人は何とおおらかな配慮をHにしたことだろう。あるなつかしさを覚える。

さて、この本での戦争描写は少年の観た戦争の一面に過ぎない。満州で終戦を迎え、シベリアに抑留され、戦友を失い、生死の境を潜り抜けてきた人達の戦争観は別のものであるということだ。皆の読後感想は「でも面白かった」という事でした。