阿川弘之 『雲の墓標』
豊田静太郎戦時中に海軍にいたとの理由で川上兄からお誘いを受け、番外会員として参加させていただきました。これは戦争半ばに、いわゆる学徒出陣で海軍に入り、飛行予備学生士官として訓練を受け、特攻で戦死した一学生の日記体による阿川氏の小説です。昔に読んだ記憶を呼びもどしながら、後めたさを感じつつ改めて読み直してみました。あの戦争をどのように見るかについては、被害者の立場においてのものが多く、この「雲の墓標」もそれに近いところがありますが、主人公の吉野次郎はそこにおいても、どのような意味を見付けるかに苦悩していました。
読書会でも指摘されていましたが、気になることのひとつとして、海兵出身者と予備学生とに取扱いの差のあったことが記されていました。おそらく事実であったこととも思われますが、私自身は別の形(例えば、先ず紳士たれで始まる教育のこと、新米の二年現役士官にもポストを与えて仕事をさせてみるフトコロの深さのこと等)を数多く体験してきています。
この吉野次郎も、もし生きて還ってきたとすると、今日までどのような戦後の生活をしてきたでしょうか。平均的戦中派として女房子供のためにガムシャラに働き、定年退職した今はこれで良かったのかと時に考え、新聞の政治、経済、社会の記事に対して自分の暦史観は少し違うとも呟いていることと想像します。
遺書の「雲こそ吾が墓標落日よ碑銘をかざれ」に感銘を受けたとの発言もなされました。同じ様な思いの籠められたものとして、戦争末期に沖縄海面に特攻出撃し、雷爆撃を受けて沈没した戦艦大和に乗り組み、奇蹟的に生還した吉田満氏(吉野次郎と同期の予備学生士官 手記)『鎮魂戦艦大和』の終りに次の様な三行のあることを書き記します。
徳之島ノ北西二百浬ノ浄土、「大和」撃沈シテ巨体四裂ス 水深四百三十米 今ナオ埋没スル三千ノ骸 彼ラ終焉の胸中果シテ如何
(95年 9月)