ぶどう  石垣 通子

 最初に登場するのは創世記9章の洪水の後にノアがぶどうを栽培します。古代の人々は地面や壁に這わせる方法で、支柱や棚を使うようになったのは後のことでしょう。パレスチナ地方のぶどうの木は、時には直径40センチの樹木になることがあり『彼はろばをぶどうに木に、雌ろばの子を良いぶどうの木につなぐ』(創世記49章11節)。

 又、イエス様も『わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である』(ヨハネ福音書15章)とおっしゃっている。同じ箇所で『手入れをなさる』と言われるように、剪定が必要である。イザヤ書5章1~6節にはイスラエルの人々をぶどうにたとえて、手入れをされた様子が目に浮かぶように書かれている。そして重さ5~6キロほどの房になり、民数記13章23節に出て来るように『房のぶどうの付いた枝を切り取り、棒に下げ、二人で担いだ。』となる。

 聖書には次のような表現もある。『人はそれぞれ自分のぶどうの木の下、いちじくの木の下に座り』(ミカ4章4節)これは平和と繁栄を意味している。又、『干しいちじく一かたまりと干しぶどう二房を与えて食べさせると元気を取り戻した。』(サムエル記上30章12節)