むさしの教会を設計してくださった河野通祐兄が、月報むさしのだよりに6回に分けて書いてくださった貴重な記事を以下に掲載いたします。会堂建築に関心のある方は必見です。
むさしの教会の礼拝堂の入口は公道から門を入って前庭を通った奥にあります。玄関の扉の赤い色の意味は青山先生が『シンボル』の中で説明されていますが、この玄関の位置を決めるにも建築委員会でいろいろ意見が交わされました。この章では建物の配置について簡単に説明いたします。
敷地は北側の幅4メートルの公道に接した東西約23メートル、南北約36メートルの長方形ですが西側に幅2メートルの私道があって、都市計画ではこの私道を4メートルにすることが決まっていました。したがって使用できる敷地は東西の長さ21メートルで、この中に礼拝堂と牧師館とを建てる計画でした。
配置計画は玄関(入口)の位置をどこにするかによって決まります。図2は道路から直接礼拝堂に入ることが出来る案で、一般的によく採用される案ですが同じ道路から直接出入りする案といっても図3にすることも考えられます。教会堂はオルターを東に置くという伝統がありますが、この伝統を本当に守ろうとしますと北側の道路と平行に礼拝堂をつくることになります。つまり図3の配置ですが、この案は道路に面して窓やその他の開口部を設けることになり、問題になりましたのは、外の音を遮断することの困難であること、そのため外の音が直接礼拝堂の中に入ってきて礼拝の邪魔になるおそれがあること、礼拝堂の拡張が困難であること、そして、最も重要な環境をつくるうえの敷地内のゆとりが建物にさえぎられてなくなること、などでした。
初期の教会堂の多くは、会堂の前に前庭と呼ばれた部分がありました。ギリシャ語ではオーレーとかアイトリオンとか言い、ラテン語ではアトリウムとかポルティクスなど、いろいろな名称で呼ばれていましたが、一方を教会堂の建物に接し、その他の周囲あるいはその一部を柱廊で囲まれた内庭のことでした。コンスタンティヌス大帝によってキリスト教が公認されましたが、それ以後の4乃至5世紀の教会堂の多くがこの空間を備えていました。柱廊の屋根はこの中庭に向かって傾斜し、雨水は中庭の中央におかれた貯水槽か泉盤に導かれるようになっていました。中庭は人々が手や足を洗うという儀式的な洗浄を行う場であり、また祭日などに多くの信者が集まって儀式を行ったり、雨の日の退避の場として柱廊が使われたり、あるいは悔悟者が信者に懇願する場であったり、信者が寄進物を持ち込み、ここで詩編や聖歌、祈祷、朗読からなるオルトロスを行い、それから聖職者と信者とが行列して礼拝堂に入ってゆくための場所であったりしました。
図4はむさしの教会の配置で、前庭を設けて玄関をその奥に設けましたのは、このような伝統を少しでも残そうと考えたからで、門から玄関までのアプローチが道路と礼拝堂という囲まれた空間との中間の空間として、そこを通る人々に安定感がえられるような空間として山本常一さんに壁面をデザインしてもらいました。今は駐車場となりましたが。