岩波新書に『ルター』を書いて 徳善 義和


一昨年七月半ばのことだった。岩波の編集担当者のひとりから電話をもらった。「新書にルターについて書くことができないか」という打診だった。現在刊行されている岩波新書の中にキリスト教関係の本が少ないので、ルターについて執筆の可能性を尋ねてきたのだ。面談することとし、半月余の間に企画第一案を書いた。工学士の私は著作でも講演でも先ずは基礎設計を試みる。八月一日神田神保町に担当者を訪ねた。岩波新書は「高校生あるいは同卒業程度の人が理解できる、書き下ろしの一般教養書、啓蒙書」という私の認識の確認から話は始まった。話の半ば私は章節や小見出しまで書いた企画第一案を出して驚かれたが、懇談で「ことば」をキーワードにルターを書くという案に同意を得、その後メールを交換し、第四案でサブタイトル「ことばに生きた改革者」まで決まって、担当者は月内の企画会議に諮ると語り、早速執筆の開始を促された。章見出しなどを「ことば」にこだわった形にするのは執筆の過程で自然と落ち着いてきたものである。こうして一〇月末には第一稿が書き上がり、節や段落の入れ替えから、文章を易しく書き変える、説明を加えるなどの詰めの作業のため担当者とのメールのやり取りが一月末まで続いて、最終稿ができた。図版などを細かく確認して、三月から製作に入り、六月出版に至ったものである(一二月には再版された)。

 「ことば」をキーワードにしたから、本文はこの表記で一貫した。しかしその意味合いは文脈によって異なる。文脈を読んでもらえば、その意味合いが分かっていただけるように努力したつもりである。初期の「ドイツ語、ラテン語」など「言語」の側面がある。聖書との取り組みはそのラテン語の解釈の取り組みに始まった。これが「文字としてのことば」から「聖書のことば」、そして劇的に「神のことば」との出会いにまで至る。これを伝えようとして、民衆に語り、書く「民衆のことば」との生きた関わりもある。ルターにおけるこの基本線を一文にまとめた記述もした(一二四頁末)。ことばのこの諸相のひとつひとつをそれなりに大事にしたいというのが、「あとがき」にあって多くの人の共感を呼んでいる、現代の「ことばの回復」の課題の確認と呼び掛けになった。

 この本は一般教養書である。ルーテル教会員から寄せられる率直で明快な反応には、これまで断片的に知ってきたルターのことが「スッキリ、ハッキリ」分かったというのが多い。ルターの生涯、思想、働きの全容を一応歴史の脈絡の中で記述するべく試みたからである。これが教会員の信仰学習となるためには、信仰的、神学的な説明や学習が必要だろう。現代に生きるわれわれの課題もまた確認されなければなるまい。ルターの基礎的な著作の読書と学び、さらなる信仰的な学びの計画もまた欠かせないことである。宗教改革五百年記念に向けて、ひとつの機会とも、チャレンジともなれば幸いと思っている。

 

(一二年一二月二日の小講演の要約を試みたものである)