井原 西鶴著 『世間胸算用』  今村 芙美子

 徳川時代の中期に入る頃の井原西鶴の作品である。江戸の人は年貢納めを少なくするため、間口を狭く、奥行きのある家を建てることが多い。又、堺の町人は娘を持つと、3-5才の頃から嫁入り衣装の支度をする。家の柱や根元が朽ちないうちに石で根継ぎし、銅が安価な時に軒の樋を修理する。人とのお付き合いも、先祖代々の茶の湯道具を世渡り上手に役立てるために利用する。このように胸算用して安心して大事な正月を迎える。

 しかし思うように胸算用できない資産の少ない人はどのように暮らしているのであろうか。西鶴も歳徳の神々と同じように覗きに行く。

 質屋に入れる物がないある女房は、貧乏浪人の夫の長刀を持って行ったが、質屋の亭主に小馬鹿にされ刀を放り出される。「何と大事な刀を!先祖の恥」と喚き出し泣き崩れる。周りの人が「あの男は後が恐い」と亭主に囁き、亭主は仕方なくその女房に、お米と銭三百文をお詫び料として渡す。又借金をしている者は物怖じしなくなる。おかみさんが「主人がいなくなってしまった」と嘆き、掛買人が帰って行くと、主人は押入れからのこのこ出てくる。さて大晦日にお金を返すのを言い訳をして渋っている亭主にある若い丁稚の掛買人は、「お芝居は終わったようですよ。代金を支払わない以上、改築に使った材木はこちらのもの」と門口の柱を大槌で打ち外そうとすると、亭主は詫びをし、残らず代金を払った。借金取りも心弱くては勤まらない。さてこの若者、その亭主に掛買人追い返し法を教える。夫婦正装し、要らぬ反古紙を大事そうに一枚一枚引き裂いて「最後借金を残さず、褒められて死にたいねと理由ありそうに捨てていくことです。どんな掛乞いも長居はしないもの」と言って去って行った。

 借金取りも大晦日に後味の悪くないようにして、正月を迎えることになるのである。

 子どもの教育は少年の時に花をむしったり、凧をあげたりしながら、手習い、読み書きに精を出したものは物事に愚かなように見えるが、度量が広くなる。知恵の付くころに将来の方針を建てるし、仕事に就くと、脇目もふらず精を出し、仕事に磨きがかけられると、西鶴は子どもの将来の胸算用まで書いている。

むさしの教会だより 2013年7月号