たより巻頭言「天地人に交響する讃美の交わり」 大柴 譲治

「後の世代のためにこのことは書き記されねばならない。
『主を賛美するために民は創造された。』」
(詩編102:19)

10月16日に待望の新しいオルガンが礼拝堂に入った。むさしの教会がこれまで以上に豊かな響きに満ちた交響的な空間となった感がある。12月23日と 24日のクリスマス礼拝が今から楽しみである。毎年キャロルを歌っていると天からの大合唱が響いてくるような瞬間がある。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ!」その時ほど強く「永遠の今」を感じ、「至福の時」を意識することはない。私たちがバッハとヘンデルと同じ「歌う教会」ルーテル教会の伝統に連なっていることを心から言祝ぎたい。

私たちは10月4日と11月9日に、堤毅兄と初谷通利兄という神学校教会時代からのメンバーを相次いで天に見送った。天国はさぞかしにぎやかになったことであろうが、地上は大変に寂しくなった。これまでのお二人との交わりを感謝すると共に、ご遺族の上に慰めを祈りたい。

悲しみの時にも喜びの時にも私たちはこの同じ礼拝堂で主を讃美する。「天に栄光、地に平和」と。「讃美歌は会衆の説教である」とルターは言った。天上と地上に分かれた聖徒の群れの讃美の歌声が、時空を超えてキリストの食卓を挟んで交響する。その天空のハーモニーに和することを通して私たちは大きな力を与えられてきた。夜、大水の中に取り残された人々がバスの屋根の上で朝まで歌を歌い続けて互いに助け合ったことがあった。初ちゃんがそのことを大きな字でメモに書いてくれたのを思い起こす。讃美は祈りの連帯であり、それを通して私たちの心は一つになる。

「光あれ!」という太初の言を想起する。音楽とは耳で感じる太初の言であり、光であり、愛なのであろう。それは悲しみの闇にある者の心を慰め、その魂を永遠の希望へと向けてくれる。「光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった」(ヨハネ1:5)。詩編が告げているように、私たちはこの讃美の歌声に唱和するために創造されたのだ。

12月16日の臨時総会を経て、牧師館および集会室機能を有した建物の建築計画がいよいよ実行に移されることになる。これまでの建築委員会と役員会の働きに感謝すると共に、主の御心が成るよう祈りたいと思う。主イエス・キリストご自身がこのむさしの教会の讃美の交わりを「地の塩、世の光」としてさらに豊かに用いてくださいますように。 アーメン。

(2007年12月号)