~ 読書会より~ 中嶋 隆著『はぐれ雀』   今村 芙美子

秀吉朝鮮遠征のとき、小西行長が朝鮮の子供たちを日本に連れてきて、キリシタンを育てようとした。
そのうちの二人の娘、ジュリアと千代、後に生まれた行長のひ孫、須美の波乱の生涯を描きながら、島原の乱の一揆側も、徳川側も批判した本である。その中には籠城址から逃げ、崖から海に跳び込んだ人達を軍船に誘導した百姓、雄太の存在もあった。家康に寵愛されたが棄教せず、三度も島流しにされたジュリアは長崎に住んでいた。血の付いた痰を吐き、行長の末裔を守ることが自分の「マリア様との御約束」それを早く果たさなければと思っていた。

もう一人の千代は小西家滅亡後島原へ逃げ、その後小西家落人と結婚したが、キリシタン禁圧の時、孫の洗礼で娘家族は処刑された。弾傷で衰弱死する直前、夫は千代に「ジュリア様がいる長崎に行け」と言い残す。落城する数日前の日でもあった。島原一揆で殉死した行長の孫の娘須美を6歳まで育てた育ての両親は雄太の内通を知っていたので、須美を雄太家族に託し、籠城で殉死する。

養父雄太は家族5人食べて行くのも大変だった。次男の安兵衛は須美を「雀」と呼び、いつも楽しく須美とおしゃべりをした。不幸にも16歳の長男嘉助の弟への嫉妬は強くなる一方で、終に弟殺しをしてしまった。嘉助を追い出し、息子二人を失った雄太は「本当の親は小西行長の孫だ」と須美に言い、うなだれて「食べて行かれないから」と須美を女衒に売った。須美は「生き続けることがマリア様との御約束」と自分に言った。千代はジュリアに頼まれた「須美の側にいて須美の魂を守ること」を自分の「マリア様との御約束」と大阪へ向かった。

須美は16歳で太夫に出世し、床入りの日が来た。千代は前日、嘉助に渡された剃刀を須美に渡し、「私はいつも側にいる」と言う。須美は大黒屋の前で「島原におりました。キリシタンです。デウス様、わが身を委ねます。」と剃刀を投げ出した。「刃物を所持して!棄教せねば磔になるぞ」と溜息をついた。大黒屋は長い間思っていたことを口にした。「伊豆守様は原城址に籠った民を救おうとされた。三万七千人を兵糧攻めにし、棄教すれば罪に問わないと数多の矢文を射込んだ。

しかし、牢人どもが降伏を許さなかった。雄太は評定衆の命令に逆らって海に跳びこんだ人達を軍船に誘導した。その後伊豆守様は総攻撃し、女子供十数人を残し、全滅させた。伊豆守様は海に逃れた者は救うよう厳命した」(これは作者の言いたいことだったと思う)。須美には安兵衛の「親父を分ってくれよ」との弁明する声が蘇ってきた。大黒屋は須美を身請けした。

数年後二人の間の子、吉太郎の存在が伊豆守の知る所となり、大黒屋は危険を感じジュリアに頼み、母子を釜山へ出発させた。その後家光から家綱の時代になって、伊豆守の力はなくなった。老いた千代はマリア様に跪いた。

むさしの便り5月号より