神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。
(創世記1:3-4)
言葉というものはまことに不思議なものである。「言葉を語る」ということは、空間と時間の中に一つのかたちを彫り出すという作業でもあろう。何もないところから、無から一つのかたちをつかみ出すのだ。いや、それは既に存在しているものに秩序を与えるということなのかもしれない。見えないものに見えるかたちを与える作業でもある。
神は「光あれ」という言によって光を創造され、それを良しと祝福された。「光あれ」という言で神は無から有を彫り出したとも言える。光それ自体と、光を光たらしめる光という概念とは、まだそこでは未分化である。それが次第に分離してゆくところに人間の悲劇があるのだろうか。言葉が信を失ったのだ。現代は空しい言葉が氾濫する時代であり、言葉が多すぎて誰もそれを信じることができなくなっている。神の言でさえ人間の言葉の中に埋没してしまう。み言の飢饉である。
10年間に渡ってむさしのだよりの編集長としてご奉仕くださった秋田淳子姉がこの2月号でその役を終えられた。心より感謝したい。その文章はたおやかで温かく、豊かなイメージに満ちていた。ファンも少なくなかったと思われる。秋田姉は無から有を彫り出す真の意味での言葉の職人であった。その編集後記は 1996年に『天使の梯子』として講談社出版サービスセンターより自費出版されている。知る人ぞ知る、ルーテル教会の機関紙るうてる福音版の巻頭言を書いておられるJun氏とは秋田姉のことである。これまで姉の文章に深い慰めを与えられた方も多かったに違いない。この10年間のむさしのだよりの果たしてきた役割の大きさを覚える。
闇の中で神は語られた。「光あれ!」と。言葉によって慰めの光を彫り出すことのできる秋田姉の特別な賜物を覚えて神に感謝したい。そして姉の今後の歩みの上に豊かな祝福を祈りたい。
ありがとう、ジュンペイ。