たより巻頭言「CQ, CQ~聖霊からのコールサイン」 大柴 譲治

 中島みゆきに『CQ』という歌がある。その出だしはこうだ。「CQ、CQ・・・。CQ、CQ・・・。だれかいますか。だれかいますか。どこかには。だれかいますか。生きていますか。聞こえていますか。・・・ただ聞いて欲しいだけ」(『歌でしか言えない』1991)。CQとはアマチュア無線のコールサインで〃call to quarters〃の略であるが、通信への参加を求める呼びかけの言葉である。そこには心の触れ合いを求めても得られず、寂しくコールサインを送り続けている現代人の孤独な心情が伝わってくる。

 それにしても何だろう。中島みゆきの音楽を聴くたびに思う。極めて個人的な心情を独白的に歌っているにも関わらず、こちらの心に強く響いてくる。最も私的なものが普遍的な響きを持つはなぜか。音楽に限らず、文学にしても短歌にしても、美術にしても演劇にしても、人の心を打つ作品というものは極めて個人的な色彩を強く持ちつつ、個人の次元を越えている。

 カトリック作家の高橋たか子は「自分を掘って掘って、さらに掘り下げてゆくと地下水にぶつかる。その地下水は深いところで他の人とつながっている」と言った。片方で共感を呼ばない独白がある。地下水をまだ掘り当てていないのだ。他方で深く共感を呼ぶ独白がある。それは人の心に呼びかけ、心を震わせ、応答を引き起こす。「CQ、CQ・・・」 人と心を通わせるためには、自分自身を深く見つめるまなざしが必要なのだ。

 ペンテコステにはバベルの塔とは反対に、バラバラだった人間の心が聖霊を通して再び結び合わされるという出来事が起こった。教会の誕生である。心と心がつながるとき、共鳴し合うとき、私たちは大きな喜びに満たされ、深い慰めと出会う。牧師の仕事は心と心をつなげてゆく仕事だと思う。キリスト者の役割もまた同じである。それこそ聖霊のみ業なのだ。ペンテコステはそのことを示している。「CQ、CQ・・・」 耳を澄ませて、私たちに呼びかけてくる聖霊からのコールサインを聞き分けてゆきたい。