たより巻頭言「進め、ひょっこりひょうたん島」 大柴 譲治

「波をチャプチャプ、チャプチャプかきわけて。雲をスイスイ、スイスイ追い抜いて。ひょうたん島はどこへ行く。ぼくらを乗せてどこへ行く。」

 これは、1964年4月6日から5年間、NHKで放映されて一世を風靡した人形劇『ひょっこりひょうたん島』(井上ひさし・山元護久原作、宇野誠一郎音楽)の主題歌の前半部分です。自らの子供時代や子育てに忙しかった頃を思い出し、懐かしさでいっぱいになる方も少なくないことでしょう。私などもその一人です。

 主題歌はこう続きます。

「丸い地球の水平線に、何かがきっと待っている。苦しいこともあるだろさ。悲しいこともあるだろさ。だけどぼくらはくじけない。泣くのはいやだ、笑っちゃえ。進め、ひょっこりひょうたん島。」

 私の中には、そのような底抜けに明るく楽天的な生き方への強い共感があることに気づきます。それだけ深くこの番組が子供心に影響を与えたということでしょうか。希望というものの大切さを教えられたように思います。

 教会暦では聖灰水曜日より四旬節(レント)に入りました。荒野での誘惑とも重なりますが、この時期は日曜日を除く40日間、主の十字架への歩みを深く想う期節です。典礼色は紫。悲しみと悔い改めの色です。

 苦しみや悲しみの水平線の向こうに私たちを待っているものは何か。それは、「神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる」世界であり、「もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない」世界です(ヨハネ黙示録21:3-4)。

 私たちは知っています。それこそキリストの十字架を通して開かれた世界だということを。「為ん方(せんかた)つくれども希望(のぞみ)を失はず」(2コリント4:8、文語訳)。キリストを信じる信仰はどのような状況におかれても私たちに希望を与えてくれる。それゆえ信仰者は徹底的に楽天的であり続けることができるのです。

 「だからぼくらはくじけない。泣くのはいやだ、笑っちゃえ」と歌う『ひょっこりひょうたん島』。そこには原作者井上ひさし氏のキリスト者としての信仰が確かに息づいているように思います。