たより巻頭言「心をこめて」 大柴 譲治

 ノートルダム清心女子大学の渡辺和子シスターから次のような話をお聞きしたことがあります。シスターが若い頃、アメリカの修道院に派遣された時のこと。来る日も来る日も、朝から晩まで、皿洗いしかさせてもらえなかった。そこで修道院長に、「雑用ばかりではなく、もっと重要な仕事もさせて欲しい」と訴えました。すると院長は次のように答えたそうです。「シスター渡辺、雑用というものはありませんよ。用を雑にするかどうかなのです」。その言葉にハッとしたシスターは、それ以来心をこめて皿洗いをするようになった。すると不思議なことに、その仕事が本当に大切であり、楽しいものであることが分かってきたというのです。

 日常生活の一つ一つに心をこめて関わるということ。自分の前に立つ一人ひとりに心をこめて向き合うということ。イエスさまは「小事に忠実である者は大事にも忠実である」とおっしゃいました。ともすれば用を雑にしてしまいがちな私たちですが、そのような私たちに対してイエスさまは心をこめて向かい合ってくださっています。

 ある方がまる三日かけて教会をピカピカにニスで塗りかえてくださいました。その丁寧な職人芸に目を奪われます。ふと見回してみると、この教会には実に多くの人たちの心が込められています。食事を準備してくださる方、タオルを洗ってかけてくださる方、掃除をしてくださる方、ゴミ袋を担当してくださる方、お花を生けてくださる方、ローソクを立ててくださる方、花壇や植木の手入れをしてくださる方、聖餐式のパンを焼いてくださる方、その準備をしてくださる方、説教題を書いてくださる方、週報や月報などの印刷をしてくださる方、月報を発送してくださる方、録音を担当してくださる方、献金を数えてくださる方、子どもと家族の礼拝を守ってくださる方、オルガニストや聖歌隊。礼拝出席自体にも心が込められています。また、見えないところで教会や牧師のために祈って下さる方もおられましょう。多くの心を感じます。

 収穫の秋、芸術の秋、食欲の秋。11月23日に向けてバザーの準備も始まりました。主がそうであられたように私たちもまた、一瞬々々を大切に、一つひとつの出来事に心をこめて歩んでゆきたいと思います。