クリスマスメッセ-ジ 『7時のニュース/きよしこの夜』 大柴譲治

ヨハネ 1:1-5 『7時のニュース/きよしこの夜』

以前、サイモンとガーファンクルという音楽グループがありました。映画『卒業』のテーマ「サウンドオブサイレンス」や「ミセスロビンソン」などでご存知の 方も多いかと思います。あるいはまた、「コンドルは飛んでゆく」や「スカボローフェア」、「明日に架ける橋」なども有名です。 1960年代の後半に世界的に流行しました。彼らの『パセリ・セイジ・ローズマリー・アンド・タイム』というアルバムの最後に「7時のニュース/きよしこ の夜」という作品があります。何のことはない、「聖しこの夜」にラジオの7時のニュースを重ねてあるだけのシンプルな曲です。

その12月 24日のニュースは、シカゴで起こった殺人事件犯人の裁判であるとか麻薬による死亡事件、マルチン・ルーサー・キング牧師による公民権運動のためのデモに ついてのニュースやベトナム戦争に関するニュースなどを告げています。現実の世界の、もうすでに日常茶飯事になってしまったと言えるような悲惨さ、問題性 といったものを淡々と伝えているのです。そこに、天使の歌声のような美しい高音声で「聖しこの夜」が重なり響くのです。

「聖しこの夜 星は光り、救いのみ子は
まぶねの中に眠りたもう、いとやすく。
聖しこの夜、み告げ受けし 牧人たちは
み子のみ前に ぬかずきぬ、かしこみて。
聖しこの夜 み子の笑みに 恵みのみ代の
あしたの光 輝けり ほがらかに。 アーメン。」

最初にこの曲を聴いたとき、私はそのときまだ高校生だったと思いますが、天からの啓示があったかのように感じてショックを受けたことを思い起こします。人 間の悲惨な現実の中に神の現実が触れる、それがクリスマスの出来事だということをこの「7時のニュース/聖しこの夜」はよく伝えていると思ったからです。 しかし、闇は闇のまま、悲しみは悲しみのまま、絶望は絶望のまま私たちの現実の世界の中に存在している。クリスマスの前も後も、人間の悲惨な現実は依然と して何も変わっていないように見えます。

この記事を書いている最中、サッカ-の日本代表チ-ムが来年フランスで開かれるワ-ルドカップに 出場することが決まって喜んでいましたら、突然エジプト・ルクソ-ルでのテロ事件の報道が耳に入ってきました。10人の日本人を含む60人以上の観光客が テロリストたちに無差別に射殺されたという悲報です。観光地のため新婚旅行中のカップルが多かったと聞きます。次の日の夕刊に載った四組の日本人カップル の挙式写真は私たちの心を抉りました。何とむごい出来事であることか。いったいどこに神がいるのか。なぜ神は沈黙しているのか。テロリストたちの心無い殺 戮に対して強い憤りを覚えます。いったいこのことによって何が達成されたというのか。ただ悲しみに悲しみを重ねただけではないか。ご遺族や関係者の方々の 悲しみと怒りの上に、上よりの慰めと癒しを切に祈りたいと思います。

しかし、それでもなお、クリスマスの星は闇の中にさやかに輝いている と聖書は私たちに告げているのです。「きよしこの夜」は「7時のニュ-ス」のバックで歌い続けられているのです。もしかすると、この世の闇が深ければ深い ほど、人の嘆きが深ければ深いほど、キリストのご降誕を告げる星があざやかに輝いて見えてくるのかも知れない。み子が安らかに眠りたもうまぶねの情景に は、その背後に十字架の影がくっきりと映っているように思えてなりません。このお方は十字架の上に私たちの悲しみと痛みとを担い、罪を贖うためにこの地上 にお生まれになられた。クリスマスの主は私たちのために血の涙を流してくださったのです。クリスマスの出来事を通して私たちの闇の中に光が、悲しみの中に 慰めが、絶望の中に希望がもたらされている。そのことを、アドベントを迎えた今、私たちは私たちの原点としてもう一度心に刻みたいと思います。

悲しみの中でクリスマスを迎えようとする者の上にメリ-クリスマス! 天に栄光、地に平和がありますように。

「初 めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったもの は何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」