マタイ 9:9-13
はじめに
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。神 YHWH の息
「主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」(創世記2:7)と記されているように、人間は神の命の息(=聖霊=風)によって創造されたと聖書は告げています。赤ちゃんは生まれた時に最初に大きく息を吸ってから吐く息で「オギャー」と第一声を上げます。古代のイスラエル人は、その最初の息(吸気)こそ神さまから吹き入れられた息であると信じたのです。そして、私たち人間がこの世で一番最後にすることは「フーッ」と息を吐くことですが、その最後の息(呼気)を責任をもって「引き取って」くださるのも神さまなのです。「神」のことをヘブル語では「YHWH」と書いて「ヤーウェ」と読ませます。ヘブル語では母音は表記されず、また「神の名をみだりに唱えてはならない」という十誡からも、この「神聖四文字YHWH」は「アドナイ(主)」と読み替えられたようですが、このYHWH(ヤーウェ)という言葉は実は「ャハフーッ」という呼吸音を表しています。文字通り、神は私たちに自らの息を吹き入れることによって命を与えてくださる存在なのです。神さまの息吹によって私たちは生かされる。そしてそれは、「最初の息」と「最後の息」だけでなく、神はすべての時に私たちと息を合わせてくださるお方であるということでもあります。この「神と呼吸を合わせる」ということがとても大切で、そこでこそ私たちは安らかな息(「安息」)が与えられる。それを想起するのがこの礼拝の場なのです。
「現代の詩編」としてのゴスペル
本日は久しぶりにむさしのゴスペルクワイアと一緒にこの主日礼拝を守っています。ゴスペルクワイアが活動を初めたのが2000年ですから、もう8年が経ちました。そこにはコツコツと積み重ねられてきた歴史があります。そこには確かに「ゴスペルの魅力」があるのだと思います。どこに「ゴスペル」の魅力があるのか。「ゴスペル」とは「福音」という意味で、それは苦難の中で歌われてきた魂の歌でありました。アフリカから米国に強制的に連行され、独自の言語や宗教などを一切奪われる中でキリストの福音と出会い、(ジョン・ウェスレーの流れを引く)メソジスト教会の讃美歌から強い影響を受けながら、黒人奴隷たちが歌い継いできた黒人霊歌(ニグロスピリチュアル)がそのベースにあります。彼らは奴隷としての過酷な労働の中でキリストと出会い、傷を癒す救い主を信じたのです。ゴスペルは本来そのような魂のうめき、魂の叫びの歌です。彼らはかつてエジプトの奴隷とされていたイスラエルの民と自らを重ね、神に向かって歌うことで苦難を耐える力を与えられ、歌うことを通して神からの希望を与えられたのです。その意味でそれは「現代の詩編」と呼んでもよいでしょう。旧約の詩編もまたそのような魂のうめきの歌だったからです。
ちなみに、この後で歌う「Create in me a clean heart」は詩編51編からの言葉で、通常私たちが奉献唱として礼拝式文の中で歌っているもののゴスペルヴァージョンです。「神よ、わたしのために清い心を作り、ゆるがぬ霊をわたしのうちに新しくしてください。わたしをあなたのみ前から捨てず、あなたの聖なる霊をわたしから取り去らないでください」。ここで「ゆるがぬ霊」「あなたの聖なる霊」と呼ばれているのは神の聖霊のことで、前述のように神のSpirit(霊、息、呼吸)を吹き込まれることによって人は生かされるのです。
奴隷たちは一緒に歌うことを通して、呼吸を合わせ、連帯を強め、希望の見えない中で、キリストを信じつつ、希望の光を分かち合っていったのです。そこには創造主なる神への絶対的な信頼、イエス・キリストへの愛が息づいています。先ほど歌った”He knows my name”にも”We fall down”にもそのような信仰が息づいています。
チャールストンでの体験から
私は黒人霊歌ということで必ず思い起こす体験があります。1997年の6月、家族と一緒にサウスカロライナのチャールストンという地を訪問する機会を与えられました。日本福音ルーテル教会と姉妹教会にある米国福音ルーテル教会サウスカロライナ教区のご招待で、一週間その地に滞在させていただいたのです。1892年にチャールストンのファーストルーテル教会から二人の宣教師が派遣されて、日本でのルーテル教会の宣教が始まりました。私もその教会で主日礼拝の説教をさせていただき、歴史を感じて感無量でした。しかし同時に複雑な思いを持ったことも事実です。実はチャールストンという地は、ボストンやフィラデルフィアと並び、古くから栄えた貿易港でした。特に南部は綿花大農場(プランテーション)が栄え、そのための労働力としてアフリカ大陸からその港には直接奴隷船が入ったのです。ですからチャールストンには今でも奴隷市場の跡があります。そして当時の大農園が今でもあちこちに資料館として保存されているのですが、そこには奴隷道slave streetと呼ばれた小屋が両側に並ぶ入り口がありました。小さな10畳ほどの蚕棚のような小屋に12人ほどの奴隷が住んでいたそうです。映画『風と共に去りぬ』はジョージア州アトランタが舞台でしたが、サウスカロライナはその東隣の州で、あれと同じ情景を思い描いていただくとよいと思います。slave streetの奥には農園主の大邸宅がありました。そのような中で奴隷たちは黒人霊歌を歌いながら、朝から晩までの厳しい作業を耐えていったのです。
そのように私は綿花農場を先に訪問していましたので、ファーストルーテル教会で説教をさせていただいた時、複雑な思いがしたのです。会堂の前の方には裕福な会員たちの家族ボックス席があり、後ろの方には貧しい会員たち(おそらく黒人奴隷たち)のための仕切られた立ち見席があったように記憶しています。
黒人霊歌/ゴスペルの本質
黒人霊歌はslave songs、 plantation songsとも呼ばれますが、故郷アフリカ大陸から何千マイルも離れた見知らぬ地に奴隷船で運ばれ、そこで文化・習慣や言語・宗教を剥奪されて奴隷として生きなければならなかった過酷な現実の中で生まれた歌です。キリスト教会もそのような奴隷体制を支持することで神に対する罪を犯してきたのだと私は思います(詩編51編はダビデが罪を悔いる詩編でもあります)。奴隷たちは奴隷主である白人に教会に連れて行かれ、礼拝を体験したようです。しかし彼らが真の意味で魂の解放を得たのは、一日の苦役を終えた夜遅くに密かに仲間同士で集まり、白人の家から離れた場所で自分たちだけの礼拝を守って神に祈り、歌い、踊った時間であったと伝えられています。それが彼ら自身の信仰の形だった。彼らの集会場所はHush Harbor(静かな港/静寂の隠れ家)と呼ばれました。奴隷主たちは反乱を恐れて奴隷たちが集会することを極度に嫌いました。Hush Harborが見つかれば重罰は必至でしたが、そのような危険を冒して彼らは集まった。奴隷主たちに見つからないように歌声が外にもれないように濡らした布や敷物をテントのようにかけて、その内側で一つに固まって歌ったともいいます。苦難の中、うめきや呼吸を合わせて神に祈ることを通して真の自由を求め、「神の像」としての真の人間のアイデンティティーと神の国の実現という希望とを育んでいったのです。そのような切迫した状況下で、奴隷たちの魂がひとつになることによって歌そのものが力を持つようになった。そこに黒人霊歌、ゴスペルの力があります。
彼らは背負いきれないほど重い十字架のくびきを「自分たちと共に、自分たちのために、自分たちの身代わりとして」背負ってくださったキリストの中に慰めを見出したのです。「すべて重荷を背負って苦労している者は、わたしのもとに来なさい。あなたがたを慰めてあげよう」。彼らはそのように罪人を招く救い主を信じたのです。
使徒「マタイ(神の賜物)」の召命
本日の福音書の日課にはマタイの召命の記事が描かれています。マルコとルカの福音書ではマタイは「(アルファイの子)レビ」と呼ばれています。こちらが本名で、シモン・ペトロ同様、「マタイ」とはイエスさまがレビに付けた別名でありましょう。W・バークレーという聖書註解者によると、マタイという名は「神の賜物」という意味です。マタイはローマのために働く徴税人で、ガリラヤ湖畔の町カペナウムで(直接ローマのためではなく、親ローマ派の領主ヘロデ・アンティパスのために)通行税を集める仕事をしていたと思われます。ローマの貨幣を用いてローマのために働く徴税人はユダヤ人の間では忌み嫌われていました。バークレーは『イエスの弟子たち』(新教新書)という書物では、マタイを「みんなに軽蔑された人」と読んでいます(p83)。イエスさまは皆に軽蔑されていたレビをマタイ(神の賜物)として弟子へと招くのです。ファリサイ派ならずとも驚いたに違いありません。誰からも眉をひそめられるような存在。それがそれまでのマタイでした。誰もマタイのことなど気にもかけません。「わたしに従いなさい」というイエスの声は、まっすぐにマタイの心に響いたに違いありません。自分に真剣に向かい合ってくれた者はこれまで誰もいなかった。マタイは嬉しかったのです。その証拠に、彼は即座に「立ち上がってイエスに従った」とあります。そして主イエスを食事に招き(「私は今救い主と出会った!」)、友を呼んで祝宴を開くのです。
真正面からマタイを捉えた主のまなざしと声とが彼を深く突き動かしたのだと思います。主の声がマタイの魂の奥底にある飢え渇き、傷の痛みに触れ、それを癒した。マタイ同様、主は私たちの心の奥底にある飢え渇きを知っておられます。「あなたはどこにいるのか」(創世記3:8)。これはアダムの失われた魂の在処を「足音を立てて」探し求める神の声です。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。」とイエスさまは言われます。イエスさまこそ「魂の癒し人」です。「義人はいない、一人もいない」とパウロは言いますが、主の手当を不要とするような「丈夫な(健康な)人」は独りもいないのです。主は私たちの最も悲しんでいる部分、痛んでいる部分、苦しんでいる部分、病んでいる部分に手を伸ばして触れてくださる。そのことによって私たちを癒してくださるのです。イエスさまこそ私たちの「魂の医者」です。
苦難の中にあってキリストを信じ、神と呼吸を合わせ、神への讃美とキリストへの信頼を歌うことで希望を分かち合っていった人々と同じように、私たちもまた日々の生活の中で主イエスの「わたしに従ってきなさい」という呼びかけの声を聞き取り、それに答え、ただ神のあわれみ、恵みの賜物に寄り頼んで生きる者でありたいと思います。実は「マタイ・神の賜物」という名前は、私たち一人一人にイエスさまから贈り与えられている名前なのです。
お一人おひとりの上に主の恵みが豊かにありますように。アーメン。
おわりの祝福
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 アーメン。(2008年6月29日 むさしのゴスペルクワイアによる特別讃美礼拝にて)