説教「イエスの弟子であるとは」賀来周一

マタイ 9:35-10:15

はじめに

私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。

信仰の決め手

今朝、ご一緒に、皆様方と礼拝を守ることができ感謝申し上げたいと思います。

信仰生活は、「信仰の手ごたえ」、あるいは、「これでよしとするような決め手」のようなものを求めるものです。

しかし、自分自身の世界の中だけで、信仰の手ごたえ、また決め手を考えていると、なかなかうまい落とし所が分からないまま、こころの片隅にあいまいさが残したまま、自分なりの信仰物語を作って、納得させている、そんな思いを抱えている気がします。

これさえあればと思う、信仰の決め手がよく分かるのは、実は伝道するときなのです。自分の信仰を外に向かって打ち出すとき、そのときは否応なく信仰の決め手が必要だからです。

伝道というものは、いいときもあれば悪いときもありますが、不思議なことには、伝道がうまくいかないとき、失敗したときの方が、信仰の決め手がはっきりするものです。

今日の聖書は、弟子たちをイエスが伝道へと送り出される箇所です。この弟子の姿を通して、自分の信仰の手ごたえなり、決め手がどういう形で明らかになるのかを考えてみましょう。

伝道は人手不足で始まる

この聖書箇所を読んで分かるのは、伝道は人手不足で始まるということです。「収穫は多いが働き人は少ない」とあります。人手不足は、聖書の時代から変らない教会の現実のようです。もし伝道にあたって人手が足りないと言っているとすると、極めて聖書的ということかもしれません。しかし、そこに伝道の出発があるということは、イエスという方は決して幻想を抱くことなく、極めて現実的にこの世を見て、伝道とは何かを我々に示そうとしておいでになるのがよく分かります。

ところで、働き人として、召し出された弟子たちは、人手の足りないところを補うだけの十分な能力と資質を持った一騎当千の強者かというとそうでもないのです。12人の弟子たちのことをよくご存じの方はすぐお分かりになると思います。裏切り者のイスカリオテのユダがいます。少々そそっかしいペテロが、そして疑り深いトマスもいます。やや危険分子とも言うべき熱心党のシモンもいました。この世的に見て、この人たちが品性識見に優れているとか、立派な人だとは言えそうもありません。これが現実の弟子たちの姿であります。

「いやしの力」

考えてみると、私どもが信仰者とされ、主の弟子として、この世に遣わされていくときに、私はとても素晴らしい人間で、イエスの召しにふさわしいと思っている方はおそらくいないでしょう。自分のようなものがこの人手不足の中に駆り出されていいのかな、と思うのが、私たちの本当の姿で、弟子の姿そのものです。

イエスという方は、人間の現実の姿をよくご存じであって、その姿を、そのままそっくりとらえて、伝道へと送り出された、これが私たちの用いられ方であると言ってもよいのではありませんか。

でも、その私どもに何を伝道の起点として、出て行け、と命じられるかというと、「いやしの力」なのです。ありとあらゆる患いや病を癒しなさい、その権能を与えるところから始ります。

これはある意味では恐ろしいことです。私たちは、イエスの召しに叶うだけの能力や力は何もないという、貧しい姿をさらけ出しているにもかかわらず、与えられているものは、とてもなく大きいことだからです。

でもここで私たちは考えなければなりません。イエスは、私どもに知識や教えを与えてはいないということです。

「いやしの力」を与えられたとは、神の働きを身に帯びることにほかなりません。聖書に示されたいやしとは、人間が苦しんでいるところ、困り果てているところに、神の働きがあるということであります。さらに言えば、神の働きは、人間の一番困り果てているところにある、そのことを人々に伝えなさい、というのが、私たちに与えられたイエスからの委託なのです。

ですから教えとか知識とかとはまったくちがって、身に帯びた神の働きを地上で現わしなさい、ということなのです。自分を超えた大きなものが背中に乗っかっているようなものです。それこそがイエスから遣わされるときの私たちの実体であります。この実体は信仰的実体です。霊的実体と言ってもよいかもしれません。

「何も持たないで出て行け」

私たちは自分の足りないところや貧しいところを見ますと、何とか頑張って自分も少し力をつけて、イエスの召しにふさわしい人間になろう、立派な人間になろう、あるいは、もっと優れた資質を身につけようと、足りないところを補おうとします。

でも伝道というのは、ある意味では、そういうことは邪魔になる世界でもあります。だからイエスは何も持たないで行け、と言われた理由は、そこにあります。

立派にならなければとか、知識や経験を身に付けないと、伝道はうまくいかない、だからもっと立派にならなければいけない、などということとはまったく逆のことが、イエスのことばにあります。貧しい者なのにもっと貧しくなれということです。能力がない人間に、もっと能力をなくせということです。

そうすると、私たちの飾り物があるので見えなかった部分が、よく見えるからです。自分をよく見せるものがあるとかえって見えなくなる、そういう世界があることを、イエスは教えておいでになると言ってよいでしょう。

いつもカラ振り~私の最初の任地・賀茂川教会で

私が神学校を出て、最初に赴任した教会は、京都の賀茂川教会で、当時は恩寵教会と言っていました。27歳でしたから、今から50年前の話です。前任は非常に優れた牧師で、青年たちが大勢集まっておりました。私が赴任したときには、伝統的なルーテル教会の教えと違うというので前任者が教会を辞めた後でした。

引き継ぎ当日の礼拝は25人程だったと思います。ロマネスク風の会堂は近江兄弟社のヴォーリス建築事務所の設計でしたから、なかなか立派な会堂で、70人以上入ります。ところが次の日曜日は4人の礼拝でした。その4人の内、1人はオルガニスト、1人は私ですから、2人しか会衆席には座っていない、それが私の牧師としての最初の出発でありました。

当時、牧師の給与は国家公務員の初任給の半額位でした。そのうちの3分の1は教会の献金でまかない、残りが本部からの送金ということになっていました。ところが信徒がいないのでその教会で担当する分がないわけです。まあお金が無いという、そういった状況でありました。

そうなるとお腹が減ります。だから食べもの探しが大変でした。当時、小泉先生が修学院教会に赴任して、開拓伝道をしていました。修学院は比叡山のふもとですから、何かないかと聞くと、フキがあるよというので、フキをもらってきて、茹でて食べたことがありました。森勉先生が天王寺教会にいましたので、森先生に何かないかなと言ったら、砕け米があるよと。砕け米というのはご存じですか。精米するとコメの粒が砕けたのが出ます。それが安く買えるのです。そのころはお互い貧乏だったのですね。それを貰ってきたことがありました。でも伝道はしなければなりません。当時、ルーテルアワーという伝道放送があって、その聴取者カードが教会にたくさん送られて来ました。とにかく教会に人が来てくれないと教会が成立しませんから、毎日、朝から晩まで、京都の町を自転車で走り回りました。

カードを頼りに訪ねると、玄関払いだったり、何のために来たか怒られたり、面と向かって用事はありませんという人もあります。中には、この次、教会に行きますからとの返事で、楽しみにしているとまったく姿を見せない人もありました。

そういったことがありましたが、とにかく伝道をというので、大津の坂本という比叡山を越えたところに、家庭集会を持っておりましが、電車賃がもったいないので、自転車で行っていました。それも銀閣寺の近くから山中越えと言って、平安時代は山賊が出るので有名だった間道を利用して、自転車で未舗装の道を比叡山まで登ります。降りるときは坂道だから楽というわけです。これを1月にいっぺん繰り返しておりました。

当時京都学生センターは、宣教師のコック先生が責任者でしたが、この先生と大津に開拓伝道をしようということになりました。先生と行くときは自動車で行きますが、休暇のときなどは大津まで自転車で行っていました。ルーテルアワーの聴取者に案内の手紙を出し、1軒の家を借りまして集会をはじめました。

今日は何人かなと楽しみしていると、誰も来ないない、いつもカラ振りでした。こういうことが続くと、いったい何のためにこんなことをしているのかという気がしてきます。人が集まらないのはどうも自分のやり方が悪いのでないかとか、能力が足りないからだ、いやお金がないからとか、道具立てが揃っていればもっと人が集まるかな、いわば自分の飾り物を探し出すわけです。でも、飾り物を探し出すと、ますます次が続かなくなる。

でも、何が自分をそうさせているのかと考え出すと、結局、自分を超えたものをそこで思い起こさないと、続かないわけです。とにかく何か自分を超えたものの力で動かされている、だからこの次もという気持ちがわいてくるわけです。

二番目の任地・札幌で

私は比較的動き回るのが好きなものですから、札幌にいるときもそういう経験しました。札幌では、これもルーテルアワーの聴取者カードを使って、室蘭に開拓伝道を企てました。

室蘭と札幌はだいたい100・ぐらい離れています。50ccのバイクが教会にありましたので、バイクで行っておりました。だいたい50ccのバイクで100km走りますと、3時間位かかります。

ところが、借りておいた室蘭の公民館へ行きますと、誰も来ません。時折、小学校6年の女の子さんと小さな弟と2人がぽつんと待っていることがありました。教会学校の話をして、もう暗くなっていますけれども、バイクで夜中に苫小牧あたりの原野を突っ切る国道をとことこ帰っていくわけです。結局、室蘭伝道は実りませんでした。

そういうときに、自分の能力がない、知識もない、経験もない、バイクでなくて車が欲しい、などと思うと、もう次は続きません。何にもないと、結局のところ自分を突き動かしているものはもっと別のものだと分かります。自ずとイエスが言われた「いやしの力」が否応なく見えてくるのです。

伝道が成功していたら、それが見えなかったと思います。もし伝道がうまくいけば、それは自分の力が大きかったからだとか、能力があったからだとか、経験が勝っていたからだとか、きっと自分の力を誇ったと思います。自分を誇れば誇るほど、神から与えられた力は見えなくなります。だから、伝道が失敗してはじめて、何が自分をそうさせているかと、そういった信仰の決め手のようなものが、見えてくるものです。

足の裏の埃を払い落とす

「信仰の強い人は自分が弱い」、「信仰が弱い人は自分が強い」という言葉があります。「信仰の強い人は自分が弱い」というのは、自分が弱いからこそ自分を動かしていく別の力がよく見えるのです。弱くないとそれは見えません。自分を突き動かす別の力が見えるので、信仰が強くなるというわけです。

信仰が弱いということは、強い自分で自分を動かしていますから、自分を動かしているもう別の力が見えなくなります。ですから私たちは、誇るときは、弱さをむしろ誇らなければならない。自分が弱ければ弱いほど、信仰が強いからです。そういう世界を今日の聖書の箇所から教えられます。

イエスは、いやしの力を与えたから伝道は成功するなんてことは言われません。失敗するケースも取り上げておいでになります。人の家に入っていっても、あなた方は拒絶されるかもしれない。そうしたら足の埃りを払い落してから次の町へ行け、とあります。この「足の埃りを払い落して次の町に行く」とは、自分に力はないけれども、与えられた力がある、それを確認して新しい次の伝道に向かっていくことです。

自分には何もないと思えば、何もない自分は何で動いているかに思いが行くはずです。そのことが足の埃りを払い落して次の町へ行く動きを作らせてくれます。

伝道のみならず、信仰生活にはそういうことがかならずありましょう。大きい埃りもあれば、小さい埃りもある、けれども、足の裏にくっついた埃りをぱっと払い落して、次に行くという、そういった決断を信仰はさせてくれるものです。そのときは自分の上にもう一つの大きい力が働いていることを認めたときであります。

祈り

お祈りいたします。

父なる御神、私どもは自らの中に誇るべきものは何一つなく、能力もなくすべてのことを持ち合わせておりませんが、あなたが私どもに働いて、あなたご自身の力をくださいます。そのことによって、いかなるときにもあなたと共にあることの力強さを知ることができますように。主の御名によってお祈りいたします。アーメン。

おわりの祝福

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 アーメン。

(2008年7月6日 主日聖餐礼拝にて)