マルコによる福音書 1:14-20
はじめに
私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とがあなたがたにあるように。四人の漁師の召命の出来事
イエスさまの言葉はいつも私たちをハッとさせます。大切なものを気づかせてくれるからです。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」。イエスさまからこう言われたペトロとその兄弟アンデレはさぞかし驚いたことでしょう。でもそこには彼らが今まで聞いたことのないような新鮮な、そして権威ある響きがあったのだと思います。魂に響く何かがあった。だからこそ、主の力ある言葉が彼らを捉え、彼らをイエスに従う者に変えていったのでありましょう。この言葉は彼らの人生に目的を与え、彼らの人生を方向づけました。以前『北北西に進路を取れ』という映画がありましたが、神に向かってキリストの後を歩む、そのような進路が彼らには定められたのです。むさしの教会はノアの箱船をかたどって作られていますが、人生を航海にたとえるならば、私たちには目的地と正しい方向とを指し示す羅針盤が必要です。そして地図(海路図)が必要です。その上で今自分がどこにいるのかを知らなければなりません。弟子たちに目的地と正しい方向とが指し示された、それが本日の福音書の日課に示されている出来事です。私たちにとっては聖書こそが人生の海路図であり、今このように礼拝に集うということを通して自分が今どこにいるかを知らされてゆくのだと思います。
彼らはガリラヤ湖の一介の漁師でした。しかもこの招きの言葉が語られた場面は、彼らが湖で網を打っている漁の最中でした。彼らが仕事中であることを「御覧になって」主はこう呼びかけられたのです。マルコはその後に短くこう記しています。「二人はすぐに網を捨てて従った」(18節)。マルコらしい不要なものを感じさせない凛とした文章です。「すぐに」という言葉が読む私たちを驚かせます。それは彼らが即座に、じかに、まっすぐイエスに従ったということです。
ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが呼ばれたのもやはり仕事中でした。漁が終わったところなのでしょう。舟の中で網の手入れをしている最中です。イエスさまは彼らにもペトロたちと同じ言葉で呼びかけられたに違いありません。「わたしに付いて来なさい、人間をとる漁師にしよう」。主はいつも私たちに一番心に響く言葉で呼びかけられるのです。今回も「すぐに」という言葉が記されていますが、ここではイエスさまが彼らを見るとすぐに彼らをお呼びになったとある。すると、「この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った」(20節)とあります。呼びかけられた彼ら自身もそうでありましょうが、一緒に働いていたゼベダイも雇人たちもずいぶんと驚いたことでしょう。
この短い文章の中に「すぐに」という言葉が二度も使われて強調されているということが気になります。この言葉は先ほど申し上げたように「瞬時に」とか「まっすぐに」とも訳せる言葉ですが、四人は即座に主イエスの呼びかけに従ったことが強調されているのです。それだけではない。イエスさまも彼らを見ると「すぐに」招いたことが強調されている。つまり、呼びかける側も呼びかけられる側も、両側から即座にということが言われているのです。一刻の猶予もない、事は緊急を要するという具合で記されています。
四人の弟子たちの召命の出来事は、主が洗礼者ヨハネの逮捕後に、その働きを継承するかのように、ガリラヤで福音宣教を開始したことの直後に置かれています。今日の福音書の日課の最初の部分にマルコはこう記しています。「ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい』と言われた。」(1:14-15)。
「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい!」 時は既に充ちたのだ。神の国がどんどん近づいてきて、もうすぐそこにある。もう時間はないのだという切迫感を感じます。そのような切迫感の中で主は弟子たちを招き、4人は「あなたがたを人間をとる漁師にしよう」という言葉に直ちに応答して、日常生活のただ中で、イエスに従い始たのです。
日常生活のただ中でキリストに従う
このことは何を意味しているのでしょうか。仕事をするという日常生活の中から特別な次元のために呼び出されてゆく。私たちにとっても、彼ら同様に、「網を捨て、父を雇人たちと一緒に舟に残して」、つまり、日常生活をそこで一旦打ち切って、すべてを置いて、イエスの招きに即座に従わなければならない時があるということでしょうか。「決断は一瞬である」と私の先輩牧師である石橋幸男先生はいつもおっしゃっておられました。イエスさまの呼びかけを私たちは決して逃してはならないということなのでしょうか。様々なことを思い巡らせることができますが、ここで大切なことは二つあるように思います。それらは表裏一体の関係にあります。一つは、どのような時と場にあっても、主イエスの呼びかけを聴き取り、その声に従うということの大切さです。「信仰」とは、キリストとの関係に生きるということですから、それは当然なことでもあります。
そこから二つ目も出てきます。キリストに従うということは日常生活を捨てることではない。出家することではない。信仰を携えて日常生活に戻ってゆくことなのです。ペトロたちも網を捨ててイエスに従ったはずですが、1:29ではペトロの家でイエスさまがペトロのしゅうとめの熱を癒すというみ業を行っていることが記されています。また、復活のイエスさまによって漁に出るように促されていたりもします(ヨハネ21:1-14)。網を捨てたペトロたち、舟と家族とを後にしてイエスに従った彼らは、もう一度イエスに従うことの中で網を拾い、家族のもとに戻ってゆくことになるのです。信仰とは、キリストに従うことの中で日常生活のすべてを大切にしてゆくということです。家族を大切にし、仕事を大切にし、地域のつながりを大切にしてゆく。
信じること、キリストとの関係に生きることを縦糸とすると、日常生活を生きることは横糸です。縦糸と横糸を織りなしてゆくこと、これが信仰生活です。神様との関係を垂直方向の次元だと考えると、日常生活を生きることは水平方向の次元であると考えてもよいかもしれません。垂直と水平をクロスさせて生きる、これが私たちの招かれているキリストに従う人生なのです。
そのことをよく表しているイエスさまの言葉があります。「野の花、空の鳥を見なさい。蒔きもせず紡ぎもしない。しかし天の父は彼らをも豐かに養っていてください。あなたがたはましてそうではないか。だから何を食べようか、何を飮もうか、何を着ようかと思い悩むな。天の父はこれらのものが皆あなたがたに必要なことをご存知である。何よりもまず、神の国と神の義とを求めなさい。そうすればこれらのものは皆加えて与えられる。だから、明日のことまで思い煩うな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労はその日だけで十分である」(マタイ6:25-34)。
主イエスに従うということは神の国と神の義とを求めるということなのです。そしてそれは日常生活を捨てることではない。別の世界に入ることではない。明日のことを思い煩わず、天の父が備えてくださるもの(天からのマナ)によって満たされて生きることなのです。日常生活のただ中で永遠なるものにつながって生きるということです。呼びかける者の側からも呼びかけられる者の側からもそれが「すぐに」起こるということを、いや同時に起こることを今日の箇所は私たちに告げているのです。
「人間をとる漁師」~I・Kさんとの出会い
「人間をとる漁師」というのは、何もプロの牧師や伝道者のことだけを指しているのではありません。キリストと出会った者は皆、そのように呼びかけられているのです。「人間をとる漁師」ということでは、忘れることのできない一つの出会いを思い起こします。神学校を卒業してすぐ私は、広島県の福山という広島県第二の都市、人口37万人の町の小さなルーテル教会の牧師となりました。メンバーが30人ほどで、礼拝出席の平均が12人ほどの小さな群れでした。福山は日本鋼管の城下町とも呼ぶべき町でした。もともと福山、尾道、三原と人口10万人の町が三つ並んでいたのですが、日本鋼管が福山にきてから福山は三倍にも人口が増加したのです。
そこで私はI・Kさんという一人の車いすのご婦人と出会いました。Iさんは当時、福山で車いす協会の会長をなされていて、凛とした雰囲気を持つ笑顔のとても素敵なご婦人でしたが、その背後にたいへん辛い人生を持っていた方でした。幸せな家庭生活を送っていたのに突然、スモン病という病気のためにすべてを奪われた方でした。お腹の具合が悪いため病院でキノホルムという整腸剤を処方され、その薬害によってスモン病が発症したのです。Iさんには幼い二人の息子さんがおられたのですが、病気のために離縁させられます。何年も何年も、針のむしろに座らされるような激痛を伴う闘病生活の中で、神戸にあるカトリック病院に入院している時に一人のカトリック神父と出会い、キリストを信じて洗礼を受けられた方です。病いのために身体の自由を奪われて車いすの生活を始めた後に、印鑑業を営むご主人と出会い、再婚して福山に移ってこられました。
Iさんとの出会いは、1987年、宣教師のジェリー・リビングストン先生が中心となって、アメリカからお招きしたレスリー・レムキという盲目で肢体不自由、そして精神発達遅滞という三重の苦しみを持つ天才ピアニストのコンサートを急きょ福山で行うということになり、協力を求めて社会福祉協議会を訪ねた時に出会いました。快く協力を申し出てくださったIさんと私は、さらに協力を求めて文字通り福山を中心とした備後地方を車で東に西に走り回ることになりました。その時にIさんが私が運転する軽トラックの助手席に乗りながら笑顔でおっしゃられた言葉が忘れられません。「先生、大変ですが、本当に生きてるって実感がしますね」。そのコンサートを通して、またその後Iさんのお宅で家庭集会を始めたことがきっかけで、やがてIさんは福山ルーテル教会に転入されることになりました。Iさんはその後しばらしくして胃ガンを発病し、1990年7月に55歳で神さまのみもとに召されて行かれました。
I・Kさんは、自分に背負わされた十字架にも関わらず、否、十字架を背負えばこそでしょう、人々の背負っている苦しみや悩みを思いやることができた。そして困っている人の悩みを自分のことのように受け止め、一緒に背負おうとされたのだと思います。私にとっては忘れることのできないご生涯でした。
また、Iさんを通して私たち夫婦は多くの出会いを与えられました。例えば、岡山の長島というところにある邑久光明園というハンセン氏病の療養所にIさんのペンフレンドを訪ねたこともありました。「人間回復の橋」が1988年5月に完成した直後です。Iさんは周囲にいる人の心を開く不思議な力をもっておられました。太陽のような輝きと温かさをもっておられたのです。キリスト教なんか大嫌いだと言っておられたご主人も結局、奥様の死を通して、「教会は天国に一番近いところだから、あなたも洗礼を受けて礼拝に通ってくださいね」という遺言の通りに洗礼を受けてゆかれました。
社協でボランティアをしておられたIさんの友人MさんもIさんとの出会いを通して大きく変えられた方でした。Mさんは自らマザーテレサのところにゆくような行動力の持ち主でしたが、洗礼を受け、るうてるホームで働かれた後、今では福山教会の中心メンバーとして働いておられます。私自身もIさんとの出会いを通して大きく育てられたように思います。I・Kさんこそ「人間をすなどる漁師」だったのです。
漁師であるペトロを「あなたを人間をとる漁師にする」と言われたイエスさまは、大工には「あなたを人間を建てる大工にしよう」と言い、教師には「あなたを人間を育てる教師にしよう」と言い、医者には「あなたを人間を癒す医者にしよう」と、主婦には「あなたを人間をおいしく味付けする主婦とする」と言ってくださるのだと思います。一人ひとりが生きて輝くように私たちを神さまに向かって、神さまの光の中へと召し出してくださるのです。
このような人生の大きな目標を見出すことができる者は幸いであります。イエスさまと出会うことによって、私たちの日常生活のすべてが神さまの光の中で輝いているということに気づかされる者は幸いであります。主に従うことの中で私たちは笑顔の中に本当にかけがえのない今を生きてるという実感を持つことができるのだと思います。
主は言われました。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」「わたしに従ってきなさい。わたしがあなたがたを人間をとる漁師として輝かせよう。」
主がお一人おひとりの上に臨まれて、神さまの恵みの光が注がれ、私たちの命が輝くことができますようにお祈りいたします。 アーメン。
おわりの祝福
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 アーメン。(2006年1月22日 顕現節第三主日礼拝説教)