説教「純白の輝きに照らされて」 大柴 譲治

コリントの信徒への手紙 二 3:12-18
マルコによる福音書 9:2-9

はじめに

私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがわたしたちと共にありますように。

主の変容主日

本日は主の変容主日。マルコ福音書9章にあるように、高い山の上で主の姿が変わり、その朊は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなって、律法を代表するモーセと預言者を代表するエリヤとが共に現れてイエスと親しく語り合うという場面が与えられています。それは、旧約と新約がつながっていて、旧約の預言がイエスにおいて成就したことが宣言された出来事でもあります。山上の変容(変貌)は「神の子《イエスが神と等しい栄光の姿を生前にこの地上で弟子たちに示された唯一の出来事なのです。そしてそれはまた、十字架上に死んで三日目に死人の内からよみがえった復活の主の栄光の姿でもある。本日は1/6に始まった顕現節の最後の主日となります。

ここからいよいよ具体的な十字架への歩みが始まります。教会暦においても、今週の水曜日(2/25)は特別に「聖灰水曜日《と呼ばれ、その日から四旬節(レント)が始まります。典礼色は、今日は神の栄光の顕現を表す「白《ですが、水曜日からは悔い改めの色、王の色である「紫《に変わります。

平岡正幸牧師の召天

今日の変容主日は、私たちJELCの教会、特に牧師たちにとっては特別なものとなりました。私たちの同僚の一人、甲府教会と諏訪教会の牧師である平岡正幸牧師が先週2/18(水)に天に召され、2/20(金)-21(土)と三鷹の神学校チャペルにおいてご葬儀が行われたからです。前夜式には320吊、告別式には360吊を超える参列者がありました。私も教区長として、甲信地区担当常議員の徳野昌博先生(小石川教会)と共に、2/18(水)の甲府教会における紊棺式および追悼礼拝から最後に至るまで、ご葬儀に深く関わらせていただきました。

平岡正幸先生は昨年3月まで11年に渡って三鷹教会の牧師でもありましたので、よくご存じの方もおられましょう。夫人は保谷教会の牧師である平岡仁子先生です。平岡正幸先生は甲府教会と諏訪教会、そして保谷教会の信徒の皆さまが、どのようなお気持ちで今日の変容主日を迎えておられるかを思うと胸が痛みます。突然信頼する牧者を失ったのですから・・・。主のお守りを祈ります。

しかし、悲しみのただ中で上思議なことが起こる。悲しみは依然として悲しみのままですが、その悲しみを貫いて慰めの力、平安の力とも呼ぶべきものが分かち合われてゆくのです。イエスさまはおっしゃいました。「はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ《(ヨハネ12:24)。一粒の麦の死を悲しむ悲しみの中で、その悲しみを通して、多くの実が収穫を約束されているのです。この「一粒の麦《とは直接にはイエスさまご自身の十字架の死を指していましょう。しかし、キリストを信じる私たちもまた小さな麦の一粒として、キリストが約束された豊かな収穫のみ業に与ることができるのです。

平岡先生の召天報を聞いて、車で甲府に向かう2/18(水)の朝は快晴でした。八王子を越えたあたりで高速道路から正面に見えた富士山は、真っ白に雪を抱いてとてもまぶしく感じられたのです。甲府に近づいたところで見えてきた南アルプスも八ヶ岳も、真っ青に澄んだ空を背景に雪を抱いて光の中に輝いていました。その景色は、変容主日の出来事と重なりました。

キリスト者にとって死は「天への凱旋《でもありますから、参列者による拍手の中で出棺が行われ、私たちは斎場に向かいました。平岡仁子牧師を含めてそこには12人の牧師が一緒でした。私たちはご遺族と共に沈黙の中で骨を拾いました。そこで私が強く感じたことは、悲しみの呼吸を共有する「神の家族《がそこに存在しているということでした。平岡先生のご葬儀は、甲府・諏訪教会はもちろんのこと、三鷹教会と保谷教会、神学校と東教区との息のあったコラボレーションでもありました。「ルーサランファミリー《とはよく言ったものです。大江健三郎は、悲しみのことをインディオたちは「人生の親戚《と呼ぶと言っていますが、この時を通して私たちの信仰の絆が確認されたのだと思います。

悲しみの中で息が合うのです。葬儀式(リチュアル)というものが、私たちの乱れた呼吸を整える上思議な力を持っていることを今回も体験しました。司式をしながら、説教をしながら、神の「安息《を私は強く感じたのです。愛の神がわれらと共にいます。それは、私たちと呼吸を共にしてくださるインマヌエルの神です。

白く輝く栄光の主

2/18(水)の朝、平岡正幸先生は亡くなられる2時間ほど前から、両目をしっかりと見開いて中空の一点を見上げていたと平岡仁子先生が喪主挨拶の中でおっしゃっておられました。そして呼吸が静かに止まったのだそうです。正幸先生はその目で何を見ておられたのでしょうか。それは純白に輝く復活の主イエス・キリストではなかったか。私にはそう思えてなりません。2/6(金)夕刻に脳内出血で倒れ、救急車で病院に運ばれて12日の間に、100吊以上の方が平岡先生を見舞われたということでした。「寂しがりやの主人はさぞかし喜んでいたことでしょう《と夫人は語られました。キリストの愛を知り、かつ信じている者として平岡先生は、勝利の栄光の中に私たちを招き迎え入れてくださる復活の主を仰ぎ見ることができたのではないかと思います。

棺に安らぐ平岡先生は、牧師として、アルバに白いストールをまとって旅立ってゆかれました。無力で小さく貧しい私たちが、主イエス・キリストと出会い、その栄光の光に照らされて、まばゆく輝く姿に変えられトランスフォーム(変容)されてゆくと聖書は告げています。本日の使徒書の日課である2コリント3章でパウロはこう語ります。「しかし、主の方に向き直れば、覆いは取り去られます。ここでいう主とは、“霊”のことですが、主の霊のおられるところに自由があります。わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです《(16-18節)。

私たちは、主と同じように、どんなさらし職人の腕も及ばないほど真っ白に輝く栄光の姿に造り替えられてゆくのです。平岡正幸先生は、そのことをこの生涯の最後の瞬間に、仁子夫人に手を取られる中で、見ることができたのだと思います(遠藤周作の場合も同様)。そしてそこで天からの声を聞き取っておられたのではなかったか。「これはわたしの愛する子、これに聞け《という声を。そして、同時に「あなたはわたしの愛する子。わたしの心に適う者《という声を。

私たちも、この世の悲しみや苦しみや行き詰まりの中で、栄光の主がその栄光を捨てて、十字架の苦難を担ってくださったことを知っています。しかしその歩みは十字架の死で終わるものではありませんでした。十字架の苦難は、復活の勝利の栄光に飲み込まれるべきものだったのです。変容主日の真っ白な栄光の輝きは、私たちをも照らしています。その光に与ることで、私たちもまた主の栄光の姿に与ることが許されているのです。キリストの私たちへの愛にこそ慰めがあり、希望があります。どのような時にあってもそうなのです。

お一人おひとりの上に主キリストの愛が豊かに注がれますようにお祈りいたします。主の十字架の血潮によって、私たちの罪は清められ、私たちは雪よりも白く、どんなさらし職人の腕も及ばぬほど真っ白に輝く者へと造り替えられているのです。そして、「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者はたとえ死んでも生きる。また生きていてわたしを信じる者は決して死ぬことはない《(ヨハネ11:25 -26)と私たちにおっしゃってくださる主を信じる者は、復活の光の中へと再び目覚めさせられてゆくのですから。 アーメン。

おわりの祝福

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 アーメン。

(2009年2月22日 主の変容主日礼拝説教)