マルコ 10:17-31
C.A.姉について
中世ヨーロッパの修道院では、「メメントモリ(死を覚えよ)」という言葉が合言葉になっていました。人間は有限であり、私たちは死への存在である。コインの裏と表を分離することができないように、生と死は表裏一体であり、死を抜きにして生はないし生抜きにして死はないという洞察がその背後にはあったと思われます。同時にそれは、私たちたまゆらのはかない存在に対して、永遠なるお方がみ子を賜わるほど深く、熱く関わってくださるのだという信仰の告白という面もあったに違いありません。メメントモリ。それは自らの死を覚えるだけでなく、キリストの十字架の死をも覚える合言葉だったのです。本日の礼拝には、私たちが敬愛してやまないC.A.夫人がご一緒に出席されています。A夫人は昨日の朝、桜町の聖ヨハネホスピスにおいて82歳の、あと一月余りで83歳になろうとされていたご生涯を安らかに閉じられました。神学校教会(1941年6月24日より47年までは「宗教結社日本基督教団中野神学校伝道所」。58年2月より「武蔵野教会」の名称となる)の牧師夫人として、1941年から57年までの激動の時期を16年間、ご奉仕くださいましたた。ここにお集りの方々の中にもお世話になられた方が多かったことと思います。
青山先生、石居先生、賀来先生の書かれた『私たちの教会50年』を読ませていただきますと、その時代が本当に激動の時期であったことが分かります。その間、二度に渡る青山先生の出征中の、四人の小さなお子さんをかかえてのご苦労はいかほど大きなものであったかが偲ばれます(次女のNさんと長男のFさんは先生の出征中のお生まれです)。当時キリスト教は「敵性宗教」でありましたし、キリスト者は「非国民」とも呼ばれていた。そのような困難な時代にこの教会の礎を築き、家族を支えると同時に、キリスト教信仰の灯火を大切に守り続けて来られたのです。その後5年間ほど羽村教会のメンバーとなられた時期がおありでしたが、A夫人は50年余を当教会のメンバーとして陰となり表となり教会のために尽くして来られました。その尊い献身のご生涯を覚え、そのようなご生涯が私たちのただ中に与えられていたということに神さまに感謝と讃美をささげたいと思います。
1981年9月号の教会だよりの「神・生・私」というページにA夫人が書かれていた記事をHさんが昨日見つけてくださいました。その中には、青山四郎牧師との結婚を断わろうとした時に、お医者さんであったお父様に、「牧師」は大変だが大事な聖職なのだとこんこんとさとされ説教されたことや、牧師の妻として過ごした時期の苦しさなどが記されています。そして次のようにまとめておられます。「五人の子らも(反対論を唱えた子も)その青年期に皆堅信礼を受けました。現在は神・み子キリストなくて我なく、全てを感謝して過ごす毎日でございます。神のみ栄えのためにただひたすらお仕えしてゆきたいものと願っております。最近はロマ書5・1ー5と詩編(文語体)84編5ー7の聖句がつくづくとみにしみる私でございます。」
ここには故人が何を一番大切にされていたかが書かれています。多くの苦しみと涙の谷をくぐらねばならなかったはずの故人が到達した、信仰における約束の地がそこにはあります。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む。そしてその希望は私たちを決して欺くことがない。神の栄光にあずかる希望なのだ。ご入院の最後には癌の痛みとの闘いがあったと伺っています。しかしその寝顔は安らかで、まるで天使のような笑顔を浮かべておられます。まことに故人のなかに生きて働かれるお方が、「涙の谷をすぐれどもそこを多くの泉あるところとなした」のであります。
「あなたに足りないことがひとつ」
本日の福音書の日課には、一人の金持ちのユダヤ人とイエスさまの「永遠の命」をめぐっての対話が出てきます。永遠の命を受け継ぐには何をすればよいか。これは私たちすべてにとって大切な根源的な問いでもあります。彼は、ですから、私たちを代表するかのように、イエスさまに問いかけているのです。マタイの平行箇所では「金持ちの青年」、ルカでは「金持ちの議員(口語訳では役人)」とある。青年期から壮年期、そして老年期を含めた生涯を通して、この「永遠の命をいかにしたら得られるか」という問いが私たちにとっていかに重要であるかを、はからずもそれらの微妙な違いは明らかにしているように思います。彼は幼い頃から、真剣に、そして懸命に永遠の命について考え、追い求めてきました。イエスさまに向かって走りよってきてひざまずいて尋ねる、その姿の 中にも彼の真剣さ、真摯さが伺われます。彼はたくさんの資産をもっていながら、それによって解決することができない事柄があるということを知っていた。おそらく彼は自分の死というものを意識し、それを深く恐れていたのではないか。「メメントモリ」という合言葉と重ねてみるならば、彼は死の不安と恐怖とからなんとかして逃れようとしていたと言えましょう。この場面は、実はイエスさまが二回目にご自分の受難と死とを予告した場面と三度目かつ最後の受難予告のあいだに挟まれています。エルサレムに向かって死出の旅を始めようとされていたイエスさまに、この人は死を越えた、死によっても滅ぼされることのない永遠の命を問うているのです。福音書記者マルコの心にくいばかりの舞台設定です。
それに対してイエスは「十戒をあなたは知っているはずだ」と言い、彼は「それらはみな、小さいときから守ってきた」と答える。すると主は彼を慈しみをもって、深い愛をもって見つめられるのです。そして主に服従することへと彼を招いている。「すべてを隣人のために施し、私に従ってきなさい」。ここでは天に富を積むことと主に服従することは一つです。
本日の日課には三度、主のまなざしについて触れられています(21、23、27節)。福音書記者マルコはここでイエスさまの私たち人間に対する暖かいまなざしを際立たせている。この愛に満ちた主のまなざしのなかに私たちは置かれているのです。それは恐らく、ペトロが主を「鶏が鳴く前に三度イエスを知らないと言って裏切った時に、振り向いてペトロを見つめられたのと同じまなざしであったことでしょう(ルカ22:61)。ペトロは外に出て、激しく涙する。それは非難のまなざしではなかったと思われます。主はあらかじめペトロの弱さを知っていたからです。人は責められることによってではなく、赦され受け入れられることによって悔い改めの涙をこぼし、その涙を通して新しい生き方へと踏み出して行けるようになる。主のまなざしは私たちの弱さや惨めさ、裏切りや償いようのない失敗といったものを包み、受け入れ、赦してくださる。主はそのような暖かいまなざしをもって、「すべて重荷を負って苦労している者は私のもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう」と私たちを招いてくださっているのです。
そのような主キリストへの服従の中にこそ永遠の命がある。私たちに対する深い愛とあわれみのゆえにご自分の命をあの十字架の上に注ぎ尽くしてくださったお方。このお方の中に、神はご自身の永遠の命を明らかにしてくださったのです。今日は、(A夫人の棺を前にして)目に見える具体的な形において、私たちはそのことを確認しています。この聖卓は主の食卓を表わしていますが、死者も生者も共にこの主の食卓を中心として礼拝しているのです。このお方が私たちに永遠の命に至る道をあの十字架の上に開いてくださったのです。C.A.姉がそのご生涯のすべてを賭けて仕えてゆかれたのが、私たちに神さまとの義しい関係の中に生きるようにと「すべてを捨てて私に従ってきなさい。あなたがたに命を与えよう」と招いてくださるお方なのです。この愛のまなざしの中に、このまばゆい光の中に私たちは置かれています。私たちは裸で母の胎を出てまた裸でこの世を去ってゆく。しかし本当の命、死によっても滅ぼされることのない永遠の命を、主は私たちに示してくださっている。死のただ中で命を、悲しみのただ中で慰めを、闇のただ中で光をもたらしてくださるお方が、私たちを服従へと招いてくださっている。キリストに服従してゆくことのなかに、神さまの備えてくださった永遠の命が隠されているからです。そのことを覚えて新しい歩みを始めてゆきたいと思います。お一人おひとりの上に豊かな祝福がありますように。