ル カ 9:28-36
光への感動~輝く日常生活
国立千葉病院の神経科の医長だった西川喜作医師のことが、柳田邦夫の『「死の医学」への序章』(1986年、新潮社)に紹介されています。西川医師は1981年10月に二年七ヶ月にわたるガンとの闘病の末に亡くなられたのですが、その闘病の様子は自著『輝け、わが命の日々』(1982年、講談社)にまとめられています。1983年に柳田邦夫がホスト役となりNHKのドキュメンタリー「輝け命の日々よ」として放映もされました。何気ない当たり前な日常生活の一こま一こまが、西川医師にとっては、ガンとのすさまじい闘いの中で、かけがえのない命の輝く瞬間として見えている。自著の題名もそこから取られています。死の医学の大切さを訴えて生き、死んだ西川医師の誠実な生き方は、読む者の心を強く捉えて放しません。柳田邦夫は『「死の医学」への序章』の最初にこう書きます。「多くのガンとの闘病記を読んで気づいたことの一つは、死に直面した人々の手記には、ほとんど偶然の一致ともいうべき光への感動、目に映る世界への感動がうたわれているということだった」。突然世界が輝いて見えてくる。たとえば西川医師はこう記します。転移が発見されていよいよ明日再入院という日、家族と共に心を癒しに別荘に出かけたときのことです。「私は乾してある布団に仰向けになった。秋とはいえ海辺の陽光はギラギラと強烈だ。どこまでも青い太平洋。白い小さな波。はるか沖合いを白い船体の舟が航行してゆく。上空高く東から西へジェット旅客機が飛んで行く。エンジン音は地上までは届いてこない。大きく深呼吸する。かすかな潮の香りを感じた。 数々の思い出が私の脳裏をかすめ去った。不愉快な記憶、悲しい記憶、いやな記憶が、どれも懐かしく美しいものにさえ感じられる。 私はいま、生きることのすばらしさを感謝している。いままで私には何故、このすばらしさを感じとれなかったのか。妻は床を掃き、テーブルを拭き、風呂に水を張って忙しく立ち働いている。忙しく動き回っている妻の姿は美しかった」。
これを柳田邦夫は次のように分析するのです。「光と風景に対するこうした感度の高さは、『もっと光を』と、美の表現の本質を光に求めたモネやルノアールなどフランス印象派の画家たちの世界を連想させるのだが、しかし、西川医師の文章をじっくりと読んでみると、それは単なる風景描写や美の探求というよりは、生きる事への感動の投影としての光に満ちた情景、とりわけ親しい人間への限りないいとおしみから湧き出た心象風景というべきものであることが分かってくる」。
それまでは何気なく当たり前のものとして過ごしていた日々の生活が、一つひとつの人間関係が突然当たり前ではなくなる。かけがえのないもの、尊いものに思え、輝いて見えてくるのです。それは、来るべき終わりを明確に意識することによって、そこに密度の高い生が開始されたということでありましょう。
主の変容
本日は顕現後の最終主日、変容主日です。1月4日の顕現主日から始まった主の栄光について思いを巡らせてきた顕現節が終わり、今週の水曜日、灰の水曜日からは四旬節が始まります。典礼色は神の栄光を表す白から、悔い改めと深い悲しみを表す色である紫になります。紫はまた王の色でもあります。本日の日課の流れとしては、ペトロのキリスト告白、イエスの第一回受難予告、山上の変容と続き、悪霊に苦しむ子供の癒し、第二回受難予告と続きます。ルカ9:51に記されているように、イエスのエルサレムに向けての十字架の歩みが始まる。ご承知のように、十字架は最も惨めで最も苦しい極刑でした。神の栄光などつゆほども感じられない悲惨な十字架上での死の中に、しかし不思議なことに、神の栄光が隠されていたというのです。フィリピ書の2章には、神に等しいお方、み子なる神が僕の身分となり、十字架の死に至るまで徹底して自分を低くされたというキリスト賛歌が記されていますが、これは本当に不思議な事柄です。神の栄光が十字架の悲惨の中に隠されていた。神の救いが、十字架の上のみ子の「わが神わが神、なにゆえ私をお見捨てになられたのですか」という悲痛な叫びと、神の完全な沈黙との中で完成されたというのですから。
主の変容の記事はそのような神の思い、神の然りがイエスに与えられていたということを弟子たちに証ししています。「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」という声が神の現臨を表す「雲」の中から響きます。神の声は主が洗礼を受けられたときにも与えられていたことを思い起こしてください。聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降ったとき天からの声がします。「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と(ルカ3:22)。神の声は、洗礼の時は二人称でイエスに向けられ、山上の変貌の時には三人称で弟子たちに向けられています。主のご生涯でこのように二度、明白なかたちで神の然りが与えられています。
救いへの「突破口」
モーセとエリヤはここで律法と預言者の代表として立ち現れています。興味深いことにマルコとマタイ福音書はモーセとエリヤとイエスが語り合っていた内容については記していませんが、ルカだけがそれを記している。それが31節です。「エルサレムで遂げようとしておられる最後」とは、もちろん十字架の死を意味しています。しかし注意したいのはこの「最後」と訳されている言葉は exodus、つまり「死」という意味だけでなく、「出発」または「出口、突破口」という意味を持つ語が用いられているということです。出エジプトの出来事も Exodus と呼ばれました。ek とは「~から外に」、hodus とは「道」という意味です。そこから「旅立ち」「出口」「突破口」「脱出路」という意味になります。ここでルカは、マルコもマタイも用いていないこの exodus という言葉を用いることによって、エルサレムにおける十字架の死は「最後」であるだけでなく、新しい「出発」であり、死からの「突破口」であり、栄光への「脱出路」なのだということを言おうとしているのです。エルサレム(「神の平和」)のゴルゴダの丘の上に立つ十字架。ここに神からの新しい出エジプトの道、救いの道が開かれたのだとルカは力強く訴えている。それは、人間の闇の中に与えられた光への突破口、死のただ中に与えられた命への突破口、罪のただ中に与えられた赦しへの突破口であり、悲しみのただ中に与えられた喜びへの突破口、裏切りのただ中に与えられた愛への突破口、不信仰な、神なき世界に与えられた神への突破口なのです。私たちは主によってこのような突破口を通って神の栄光へと導き入れられている。
私はこの主の変容の出来事が、自分の死を明確に意識させられた者たちが多く言葉にする「光への言及」と重なり合っているように思えてなりません。キリストのみ姿がモーセとエリヤと共に真っ白に輝いて見えたということは、ご自分の死を明確に意識したキリストの目に映った生きることの尊さ、かけがえのなさ、いとおしさというものが「真っ白な輝き」の中に示されており、またそれがそこにいた弟子たちにも感ぜられたのではなかったか。十字架の道をこれから歩み出そうとする主イエスのまなざしには神がこの世に備えられた命の輝きが見えていた。そして実はそこから、山上の変貌の記事は、私たち自身の命の中に隠されているまぶしいばかりの輝きを示しているのではないかとも思えてくるのです。「輝け、命の日々」という、そのような隠された輝きへの突破口、栄光への突破口を主はあの十字架の上に開いてくださったのではなかったか。
みそしるの中に込められた愛~私たち自身の変容
西川医師の言葉の中では、病いも進んだある日、お見舞いに山口からかけつけて来た知人に語られた言葉が一番深く私の心に残りました。「痛みがひどく、このまま死んでしまいたいと思うことがある。窓から飛び降りたらと、自殺を何度も考えた。けれども死ねなかった。何故だと思う? 私が君に送る最後の言葉だよ。それは愛だよ。友人がみそ汁を作って来てくれる。君が遠いところから来てくれる。そんな愛が、今の僕を支えていてくれる。がんばっておくれ。幸せにならなければならないよ」(『「死の医学」への序章』p255)。苦しみの中で私たちの命を輝かすもの、それは「愛」なのだと西川医師ははっきりと言うのです。愛だけが命に大きな意味を与え、究極的な価値を与える。私たちはパウロの「信仰、希望、愛。その中で最も大いなるものは、愛である」(1コリント13:13)という言葉を思い出します。真実の愛こそが、自分を与えてゆくアガペーの愛こそが、それがどんなに苦しいものであったとしても、私たちの人生を意味あるものにしてゆくのです。
私たちの人生は主イエス・キリストの十字架の血潮によってあがなわれている。私たちの日常生活はキリストのご自身のすべてを捧げてゆかれたアガペーの愛のゆえに輝くものとされている。ちょうど主のみ顔が輝き、み衣が真っ白く変容したように、私たち自身のありふれて色あせた毎日の生活は、キリストの愛のゆえに真っ白にまぶしく輝くものとされているのだと思います。私たち自身の苦しみや悲しみは、また絶望や闇は、キリストによって輝くものに変えられてゆくのです。そのことを覚えつつ、主が命がけで開いてくださったこの栄光への突破口をご一緒にくぐって参りたいと思います。お一人おひとりの上に主の祝福が豊かにありますように。 アーメン。