ルカ 22:60-62
はじめに
私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とがあなたがたにあるように。まなざしの記憶
(60)だが、ペトロは、『あなたの言うことは分からない』と言った。まだこう言い終わらないうちに、突然鶏が鳴いた。(61)主は振り向いてペトロを見つめられた。ペトロは、『今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう』と言われた主の言葉を思い出した。(62)そして外に出て、激しく泣いた。(ルカによる福音書22:60-62)私たちは心のどこかで自分を見つめてくれる存在を探しているように思います。私たちの魂の奥底に刻印された太初のまなざしの記憶があるのかもしれません。
赤ちゃんは自分を暖かく見つめてくれる母親のまなざしの中に安心して育ちます。物心ついてからも、たとえば公園で遊ぶ時にも、時々振り返っては自分を見つめてくれる母親や父親のまなざしを確認しようとします。そしてそれを確認することができた時、安心してまた自分の遊びに戻ってゆくことができるのだと思います。誰も自分を見つめてくれていない時には、私たちは心細くなり、一人遊びどころではなくなるのです。
そのように思うとき、私たちはその創造の最初から、永遠の汝たる神のまなざしの中に生きるように定められているのであろうと思います。
考えてみれば、まなざしというものは不思議なものです。愛する者同士の熱いまなざしの交換といったものを私たちは経験的に知っています。それに対してあこがれを覚えたりもします。愛のまなざしの中に私たちは再び勇気を与えられてがんばろうと思うことができたりします。
私たちは具体的に私たちを励ましてくれるまなざしの記憶を持っているものだと思います。それは両親のまなざしであり、家族のまなざしであり、恩師のまなざしであり、友人のまなざしでありましょう。あるいは逆に私たちには、ふと自分に対する視線を感じてハッとさせられるということもあります。私たちが恥ずかしいと思うのも、他者の視線を感じればこそなのです。また私たちは、非難のまなざしといったものに対しても敏感です。
ペトロを見つめる主のまなざし
本日はペトロに対するイエスさまのまなざしが印象的に描かれている箇所を選ばせていただきました。最後の晩餐でペトロは主イエスにこう伝えています。「主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」。それを聴いた主は言うのです。「ペトロ、言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう」(ルカ22:33,34)。ペトロは自分の言葉を信じてくれない主イエスの言葉に悲しくなったに違いありません。なぜ、主はわたしの真意を受け止めてくれないのか。しかし、予告の通り、ペトロは三度、あんな男は知らないと主を否定することになるのです。
「だが、ペトロは、『あなたの言うことは分からない』と言った。まだこう言い終わらないうちに、突然鶏が鳴いた。主は振り向いてペトロを見つめられた。ペトロは、『今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう』と言われた主の言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。」
ルカだけがペトロを見つめるキリストのまなざしを記しています。それはどのようなまなざしであったのでしょうか。私たちには大変気になるところです。それは私たちはペトロと似たような体験を持っているからだろうと思います。自分ではどうしようもなく自分自身の弱さや罪に直面させられる瞬間でもあります。
私はそこに、私たち人間の弱さや悲しみを知りながらそれを受容し、それを担ってくださった主イエス・キリストの慈愛に満ちたまなざしを感じます。おそらくそのような思いを持つのは私一人だけではないでありましょう。ペトロ自身もその主のまなざしを忘れることができなかった。だからこそそれを人々に語り続けたのでありましょう。そのまなざしと涙の中にペトロの信仰の原点がありました。
五島列島の絵踏
4月の終わりに大磯にある澤田美喜記念館を訪ねました。澤田美喜女史は「混血孤児の母」とも呼ばれ、エリザベス・サンダース・ホームを創設したことでよく知られているクリスチャンです。隠れキリシタンの遺物の収集でも有名で、その記念館には800点を超える収集物が展示されています。仏像の台座の裏に十字が刻まれていたり、仏像を外すと中に十字架が隠されていたりする。キリシタン大名たちが用いた聖母子像や絵踏のために使われていた木版などが収められています。そこは四百年余の時が止まったような空間でした。それらを見ながら、隱れキリシタンがどれほど十字架を大切に思っていたかということを知り、改めて主の十字架の意味について考えさせられました。隠れキリシタンというのは、江戸時代にキリスト教が禁止された後も、400年間も隠れてそれを信じ続けた者の群れをさしています。彼らは転びバテレンの子孫でもあります。
鐘を打ち鳴らした後、鯛茂さんという管理人のおじいさんが「絵踏」についてご自分が五島列島で聴いた話をしてくださいました。村人たちは毎年一度、絵踏のために三日をかけて草鞋を編んだということです。それを胸に押し抱き、絵踏の場に持ってゆく。直前に新しい草鞋に履き替えて絵を踏むのです。その後、もう一度それを胸に押し抱いて家に持ち帰り、燒いて灰にし、その灰をすべて飮んだのだということです。その灰の苦さを想うとき私には、その時どこかで鷄の声が聞こえたように感じました。
遠藤周作の『沈黙』の一節を思い起こす。「踏むがいい。おまえの足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生まれ、お前たちの痛さを分かつため十字架を背負ったのだ。」
主イエス・キリストの赦しのまなざしの中に人生を見いだすことができる者は幸いであると言わなければなりません。
お一人おひとりの上に神さまの豐かな支えと導きとがありますように。 アーメン。
おわりの祝福
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 アーメン。(2006年5月18日 神学校チャペル説教)