詩編23編、ヨハネ福音書10:1-16
「脚下照顧」
よく知られた禅の言葉に「脚下照顧」というものがあります。それは「足もとに注意せよ。真理を外にではなく、自己自身の内に求めよ」(広辞苑)という意味です。それは、「あなた自身から離れたどこか遠いところに真理を求めるのではなく、あなたの足元にこそ真理はある。その真理の上にあなたの実存がある。あなたの足場を大切にせよ」ということでありましょう。その意味で「脚下照顧」とは、「汝自身を知れ」「汝自身を深く掘り下げよ」ということでもあります。賀来政子姉のご生涯
先週の木曜日、東京老人ホームで賀来周一先生(むさしの教会元牧師)のお母様・賀来政子姉(93歳)のご葬儀がありました。三鷹教会の平岡先生が司式されましたが、その時に選ばれた聖句は山上の説教からの言葉で、「野の花、空の鳥を見よ」という部分からの言葉でした。それは婦人会いとすぎのお誕生日特集(90年版)に政子姉が愛唱聖句としてあげておられたものです。82年版には山上の説教から、「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」(マタイ7:7)が選ばれていました。賀来政子姉は1927年10月31日、宗教改革記念日に、日本福音ルーテル直方教会で高島貞久牧師より受洗されました。22歳の時です。賀来先生は3歳の時にお父様を亡くされたということでしたから、お母様は1934年頃、28歳の頃にご主人に先立たれたことになります。以降65年間、母一人子一人の生活は並大抵のご苦労ではなかったと思われます。時代的にも大変な時代でした。
政子姉は達筆で知られておりました。私が神学生の頃、今から17年ほど前ですが、お母様の毛筆で書かれた説教題を中杉通りまで出すことが日曜日の最初の仕事でした。斎場で賀来先生にお聞きしたところによると、政子姉のお父様は武士で、秋月藩の藩士(現在の福岡県甘木市)であられたそうです。そしてお父様は明治の最初に「秋月の乱」に加わられたとのことでした(明治9年)。お母様の気丈な性格は、それは賀来先生にも受け継がれておられるのでしょうが、そのようなところから来ているのだと改めて感じました。賀来政子姉は常にまっすぐに神さまの恵みを見つめて歩まれたのだと思います。
先ほどの「野の花、空の鳥を見よ」という言葉の後には、次のような言葉が続きます。「だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」(マタイ6:31-34)。
この「あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である」(口語訳)という言葉は、なかなか味わい深い言葉であります。主はこう語っておられるのではないか。「神の国と神の義を求めることの中で、私たちに豊かに注がれている神の恵みが明らかになる。神の恵みのゆえに、明日のことを思い煩う必要はない。今日、この日、この場所、この交わりの中で、神に生かされている瞬間を大切に生きよ」と。これまた「脚下照顧」です。神の恵みは私から離れてどこか遠いところにあるのではない。私たちの足元にある。いや、私たちが恵みの元に置かれている。その溢れるばかりの恵みのただ中に私たちは生かされている。たとえ悲しみや苦しみが私たちを圧倒しようとも、私たちはその神の恵みにより頼んで生きてよいと主から招かれている。政子姉は、悲しみや苦しみの中にある時も、喜びの中にある時も、そのような恵みをまっすぐに求め続け、そのような恵みを信じ、そのような恵みにすべてを委ねて、93年のご生涯を生き抜かれたのです。政子姉のご生涯が私たちのただ中に置かれていたことを覚えて神さまに感謝したいと思います。また、賀来先生のご家族の上に神さまのお支えがありますようにお祈りいたします。
「主はわが牧者」
本日の福音書の日課の中には主の言葉があります。「わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる」。主イエスは私たちの真の羊飼いとして、私たちを罪と死から守るために十字架の上に命を捨ててくださったお方です。迷える羊を、あのステンドグラスに描かれているように、命がけで探し求め、守り抜いてくださるお方なのです。本日の礼拝のための主題詩編は詩編23編です。「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく、わたしを正しい道に導かれる。死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖、それがわたしを力づける。わたしを苦しめる者を前にしても、あなたはわたしに食卓を整えてくださる。わたしの頭に香油を注ぎ、わたしの杯を溢れさせてくださる。命のある限り、恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り、生涯、そこにとどまるであろう」。
そこには羊飼いなる主への圧倒的な信頼、全き平安といったものが歌われている。この詩編は、実は出エジプトの出来事を想起する中で歌われたものらしいのです(フランシスコ会訳聖書)。「死の陰の谷」とはエジプトのこと、「食卓」とは敵のまっただ中での救いのしるしとして祝った最初の過越の食事を意味しています。荒野を旅する時にも、主はイスラエルの民を「緑の牧場に伏させ、憩いの水際に伴い」たもうたのです。魂を生き返らせてくださった。逆境のただ中で、敵のただ中で、希望の見えない八方ふさがりの状況のただ中で、詩人は「主はわが牧者であって、わたしには乏しいことがない」と歌っている。パウロは肉体のとげと格闘する中で「わが恵み、汝に足れり」という主のみ声を聞きましたが(2コリント12:9)、詩編23編の作者は「主の恵みわれに足れり」と告白しているのです。羊飼いと羊との間には完全な信頼、完全な平安があると歌われている。
そのような信頼できる牧者のもとで生きることができる羊は幸いです。人間関係が稀薄となり、互いに信頼しあえなくなっている現代社会においては、特にそうでありましょう。賀来政子姉は、その94年のご生涯を通して、そのような牧者を信じ、すべてを委ね、平安のうちにご生涯を全うされたのです。賀来先生はご葬儀の中で、「母は天寿を全うしました」とおっしゃっておられました。羊飼いを信じる信仰の中にご生涯を全うすることのできる者は幸いであります。
恵みの「今」を生きる
先日、教会員のある方(河野通祐兄)とお話をしていて次のような内容の言葉を言われ、はっとしました。「先生は『死は終わりではない、いのちの始まりである』という言い方をよくなさるけれども、死の向こう側に神の永遠のいのちがあるというよりも今、ここで、死のこちら側でも既にそれは始まっているのではないか。今この瞬間と永遠とはどのような関係にあるのか」と。確かにその方のおっしゃる通りです。脚下照顧。私たちを離れて神のいのちがあるのではなくて、私たちのただ中に既に神のいのちがある。いや、逆でありましょう。私たちが神のいのちのただ中に置かれているのです。ファリサイ派の人々の「神の国はいつ来るのか」という質問に答えて主はこう言われました。「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」(ルカ17:20-21)と。実に、神の国はあなたがたのただ中にあると言うのです。今、ここに神の国が存在している。脚下照顧。私たちは既に神の国に生きている。神の恵みの中に生かされている。「神の国」とは「神のご支配」のことですから、神さまのご支配が私たちの中で既に始まっているということです。神の国はしかし私たちの「中」にあるのではない。私たちの「間」に、私とあなたとの「間」に、キリスト者一人ひとりの「間」にそれはある。言い換えれば、私たちが空気の中にあるように、神の国、神のご支配の中に置かれているということです。「ただ神の国と神の義を求めよ」というのは「脚下照顧」、神の国と神の義は既に私たちの足元にあって、私たちは既にその中に生きているのだということを知れということではないでしょうか。神の恵みは目に見えないため、私たちの多くは気づかないでいるだけなのです。
神はインマヌエルの神、私たちと共にいます神です。主は語っています。「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」(マタイ18:20)。見えない姿ではあるが、主は牧者として私たちと共にいてくださっている。私たちのただ中に現臨してくださっている。だから私たちは声をそろえてこう歌うことができるのです。「主はわが牧者、われ乏しきことあらじ。主はわれを緑の野辺にふさせ、憩いの水ぎわに伴いたもう。たといわれ死の陰の谷を歩むとも、災いを恐れじ。なんじ我と共にいませばなり」と。このことの喜びを、私たちは自らの足元を省みることの中で、今、ここでの日常生活のただ中で、互いに分かち合いたいと思います。脚下照顧。
お一人おひとりの上に神さまの祝福と平安とが豊かにありますように。 アーメン。
(1999年4月25日)