説教「翼をください」 大柴譲治

ガラテヤの信徒への手紙 4:20-5:1

はじめに

私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがわたしたちと共にありますように。

「律法の奴隷」ではなく「自由な約束の子」として

ガラテヤ書を連続して読んでいます。パウロはガラテヤの教会員に対して懸命に関わろうとしています。前回の箇所ですが、4:19-20で彼はこう言っていました。「わたしの子供たち、キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、わたしは、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます。できることなら、わたしは今あなたがたのもとに居合わせ、語調を変えて話したい。あなたがたのことで途方に暮れているからです」。自分はあなたがたのために産みの苦しみを再度味わっていると言うのです。道を見失って迷子になってしまった子供を必死になって探し出そうとし、何とか正しい道に立ち帰らせようとする親のようなパウロのまっすぐな思いが伝わってきます。そのような深い真剣な関わりが私たち人間の心の奥底にまで響いてくる。神は人を通して福音を伝えてゆかれるということがよく分かります。今日の箇所である21節からは、パウロは確かに少し「語調を変えて」ガラテヤの信徒たちに話しかけているように感じます。

旧約聖書の創世記に出てくるようにアブラハムには二人の息子がいました。アブラハムとその妻サラとは、既に高齢になってしまった自分たちには子供が与えられる望みはないと考え、結局アブラハムと「女奴隷」のハガルとの間に息子イシュマエルが生まれます。そこに神の御心があると思ったのです。しかしそのような人間的な思いは神の思いとは異なっていました。それをパウロは「肉によって生まれた」と表現しています。しかし神は、望み得ないところに望みを創造し、無から有を生じさせるお方です。「約束によって生まれた」「約束の子」として、サラを通してイサクを与えてゆくのです。その時アブラハムは100歳、サラは90歳でした。神は私たちに思いを越えた恵みを味わわせてくださいます。

パウロがこのガラテヤ書4章の後半でサラとハガルという二人の女性に言及して語っていることをまとめると次のようになりましょう。

○ハガル=奴隷の身分=シナイ山の古い契約=今(地上)のエルサレム=イシュマエルは相続権を持たない=律法の奴隷

○サラ=自由な身分=新しい契約=天のエルサレム=私たちの母=イサクは相続権を持つ=信仰による自由

かつて肉によって生まれた子(ハガルとイシュマエル)が「霊」によって生まれた子(サラとイサク)を迫害したように、今も同様なことが行われているとパウロは言うのです。パウロがこの部分で一番言いたいことは、5:1に記されていますが、「信仰者の自由」です。それがガラテヤ書の三つある主題の(「パウロの使徒性」、「信仰義認」、そして「キリスト者の自由」)一つでもあります。「この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。」(5:1)。パウロは5章でそのように語り、キリスト者の自由について高らかに語ってゆきます。それは次回10/10(日)の課題といたします。

最初にも申し上げたように、パウロは、親のような熱い思いをもって、何とかしてガラテヤの信徒たちにキリストによって獲得された自由を取り戻して欲しいと願っていることが伝わってきます。それはパウロには、かつては律法という「奴隷の軛」につながれていた自分が、キリストによって自由の身にされているという強烈な自覚があったからでもあります。「もはや生くるのは我にあらず。キリスト、わがうちにありて生くるなり」(2:20)。そこでは自分からキリストへ、主体の転換が起こっています。ガラテヤ書の三つの主題は、そのような、キリストの愛に捉えられたパウロの強い自覚から来ているのです。

人間の肉的な思いによって生まれた「イシュマエル」が神の約束によって生まれた「イサク」へと変えられてゆくのです。奴隷の身分であった者が、キリストによって自由な身分の者へと変えられてゆくのです。シナイ山における古い契約の下に置かれていた者が、ゴルゴダの丘の上に立てられたキリストの十字架における新しい契約の下に置かれるようになったのです。神の救いの相続権を持たない者が、相続権を持つ者へと変えられてゆくのです。すべてはキリストの十字架によっています。「神はその独り子を賜るほどにこの世を愛された。それは御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を持つためである」(ヨハネ3:16)と聖書にある通りです。

チャリティーコンサート『翼をください』

今日は午後から福音歌手の森祐理さんによる特伝がありますので、午前中の礼拝もそれにつなげるような思いで、言わば特伝説教になるように準備をさせていただきました。

先日、7/9(金)にこの場所であるチャリティーコンサートが開かれました。生まれた時からの難病(拘束型心筋症)のため緊急に心臓移植を必要とする7歳の少女「なっちゃん」を救う会が主催して開かれたゴスペルコンサートでした。なっちゃんは、この教会とも関わりの深いのぞみ幼稚園(ここから300mほど東にあります)の出身です。昨2009年11/3のバザー&フェスタではここでのぞみ幼稚園のメンバーとして歌ってくださいました。この春に急に病いが悪化し、心臓移植を行う以外にはないという状況になってしまったのです。6月中旬にのぞみ幼稚園の時にご一緒だったお母さん方15人ほどが立ち上がって、海外での心臓移植手術に必要な9千万円を集めるための運動を始められました。誰の目にも無謀なことを開始したと思われたことでしょう。この地域を挙げての支援運動が展開され、何と一月で目標金額を突破し、二ヶ月で1億二千万円もの貴い献金が捧げられたことは記憶に新しいことです。

現在なっちゃんはカナダの病院で移植のためのドナーが表れるのを家族と共に待っています。私自身も、のぞみ幼稚園との関わりがありますので、少しだけ関わらせていただいたのですが、これはなかなかすごいことだと思いました。様々なことが相まって目標を達成できたのだと思いますが、本当にネットワークは力になると痛感しました。インターネットの時代でもあります。全国から心ある人たちの力が結集されたのです。私たちルーテル教会も二年間をかけて神学校に学生寮をということで一昨年昨年と8千万円の募金をして9千万円が集まりましたが、一ヶ月で9千万円でした。一つの不思議な奇跡を目の当たりにするような思いが致しました。この世界はまだまだ捨てたものではないなと思いました。この世の中には心ある人たちが大勢いるのだと思いました。これは1995年の阪神大震災の時にも、その復興のために多くのボランティアたちが全国から集まって支援をしたという時にも感じたことでした。午後の特伝の中でこのことは森祐理さんが触れてくださるかもしれません。

7月9日になっちゃんのためにこの場所で行われたチャリティーコンサートは『翼をください』と題されていました。ゴスペルグループのGiftsが歌ってくださり、鷺宮在住のタレント・ガッツ石松さんが応援にかけつけてくださり、ヨハネ福音書9章の生まれつき眼の見えない人をイエスさまが癒される出来事について触れながら、パンチの効いたメッセージを語ってくださいました。そして最後に皆で『翼をください』(赤い鳥、1971)という曲を合唱したのです。これはなかなか味わい深い名曲で、小学校の音楽の教科書はもちろんのこと、FIFAサッカーフランス大会の日本代表の応援歌になったこともあります。調べてみると本当に多くの歌手が歌っていることからもそのことがわかります(たとえばiTunes Storeで調べると即座に50人の名前が挙がりました)。なっちゃんやそのご両親たちの祈りがそのまま歌になっているような歌詞です。

「翼をください」(作詞:山上路夫、作曲:村井邦彦)

いま私の 願いごとが かなうならば 翼がほしい
この背中に 鳥のように 白い翼 つけてください

この大空に 翼をひろげ 飛んで行きたいよ
悲しみのない 自由な空へ 翼はためかせ 行きたい

子供の時 夢見たこと 今も同じ 夢に見ている

この大空に 翼をひろげ 飛んで行きたいよ
悲しみのない 自由な空へ 翼はためかせ 行きたい

心臓病に苦しむ幼いなっちゃんが癒されて翼をひろげて自由な空に飛んでゆくことが募金に協力した私たちの願いでもありました。この曲はそのようななっちゃん自身やご家族や、そこに集められた私たち一人ひとりの願いをよく表していたと思います。

私は個人的にも、この曲を礼拝の中で讃美歌として歌いたいという長年の夢を持っていましたから、このチャリティーコンサートには感動しました。応援に駆けつけてくださった鷺宮在住の俳優・ガッツ石松さんのパンチ力のあるメッセージにも感銘を受けました。ガッツさんはヨハネ9章の言葉を引きながら、「だれが罪を犯したせいでもない。ただ神の御業が表れるためなのだ」と言われて、生まれつき目の見えない人を癒したキリストの御業に触れられたのです。なっちゃんが難病になったのは誰が罪を犯したせいでもない。ただ神の御業が表れるためなのだと語ったのです。キリストは泥をこねて目に塗り、シロアムの池に行って洗いなさいと命じるのですが、なっちゃんのために集められた募金がその「泥」であり、カナダ・トロントの病院が「シロアムの池」なのだと言われたのです。私は最後列の席でその応援メッセージを聴いていましたが、あの羊飼いのステンドグラスを通して、キリストが今も私たちの只中で生きて働いていてくださるのだということを強く感じました。この礼拝堂はいいですね。

この歌詞を読むときに、私の中でそれはパウロのガラテヤ書5:1の言葉と重なって響いてくるのです。「この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません」(5:1)。主イエス・キリストが十字架にかかり、いのちを捨ててくださったのは、私たちを罪から解放して自由の身にするためでした。キリスト者の自由はキリストの十字架の血潮によって勝ち取られているのです。だから私たちは、しっかりと、キリストの軛は共にしつつも、奴隷の軛には二度とつながれてはならないのです。

「奴隷の軛」とは何を指しているのでしょうか。私たちを非人間化する悪の力です。ある人にとってはそれは病いの苦しみであるかもしれません。また別の人にとっては人間関係の重荷かもしれません。不条理な苦しみの中で人生の意味を求めて苦しんでいる方もおられましょうし、自分自身の犯してきた罪に苦しんでおられる方もおられましょう。苦しむことに疲れ、喜怒哀楽の感情が麻痺してしまっている方もおられるかもしれません。どこにも喜びを見出すことができず自分は生ける屍のような毎日を送っていると砂をかむような思いを深いところに抱えている方もおられるかもしれません。自分は誰からも愛されず、誰からも理解されず、誰からも必要とされていないと孤独を感じておられる方もおられましょう。あるいは愛する者を見送った痛手と深い喪失感に悲しんでおられる方もおられましょう。将来に対する不安を抱えておられる方もおられましょう。日々の具体的な生活の中で「奴隷の軛」が私たちを捉えているのです。

そのような私たちにパウロは同じように告げています。「この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません」(5:1)。

舘野泉氏の左手によるピアノ演奏

もう一つの体験を話させてください。私は9/11(土)-12(日)と札幌の藤女子大学を開場として行われた日本スピリチュアルケア学会の第三回全国学術大会に、許されて妻と一緒に出席をしてきました。聖路加看護大学の99歳になられる日野原重明先生を理事長とするまだできて4年たらずの学会です。その最後の部分で日野原重明先生とピアニストの舘野泉さんの対談とピアノ演奏がありました。舘野泉さんは来年で演奏活動50周年を迎えるフィンランド在住のピアニストです。40年以上にも渡る演奏活動を続けてこられた優れた音楽家として既に100枚以上のCDアルバムを出してきたのですが、2002年にフィンランドのタンペレで開かれた演奏会直後に脳梗塞に倒れます。そして病気の後遺症のためにそれ以降右半身不随となられました。舘野泉さんが65歳の時です。

リハビリに励んだけれども右腕は元のようにはなりませんでした。ある時息子さんが「お父さん、このような楽譜を見つけたよ」と手渡してくれたそうです。それは左手のためのピアノ曲の楽譜でした。その時はピンとこなかったけれども、ある時ハッとしたそうです。「そうか、両腕でなくても、片腕でも音楽は表現できるんだ」と。それからすぐに日本の友人の作曲家に国際電話をして、一年後に日本で復帰リサイタルを開くからと、左手のピアノ曲の作曲を依頼したということでした。東京、大阪、福岡、そして札幌で約束通りリサイタルを開かれたのです。

館野泉さんはあるところに次のような言葉を書いておられました。

▼65歳で脳出血に倒れ、半身不随になってからは8年になる。実のところ、病から立ち直ってこんなに長く生きられるとも、ましてや、こんなに長くピアノが弾けるとは想像だにしていなかった。ただ一日一日を生き、一日一日ピアノを弾いてきただけである。人間は自分の置かれた状況を認めて生きるしかないということだろう。でも、それは幼い時から自分には当然のこととして理解されていたように思う。私は夢とか理想、将来の計画というものを持ったことがないが、逆に言えば、夢や希望は常に身の周り、心の中にあったのだろう。理想や計画は持たなくても、ひとつの事をやりとげると、それが自然に次のことを生みだし発展し広がっていった。百の失敗を重ねているとひとつの霊感が生まれてくるようにも思えた。
▼4年前(06年)に「舘野泉・左手の文庫(募金)」を創設した。圧倒的に不足している左手のためのピアノ作品を委嘱し、左手による演奏を不自由なものではなく、ひとつの独立した音楽分野として認識して貰いたいという気持ちからだったが、多くの方々が理解を示され、そのお陰で数々の素晴らしい左手の作品が誕生したことは、感謝あるのみである。(舘野泉)。

もう一つ、舘野泉さんの言葉をご紹介したいと思います。今年の秋に演奏生活50周年を記念して札幌、福岡、東京そして大阪でコンサートが開かれますが、そのちらしに記されている言葉です。

▼演奏生活40周年を迎えて「青春」「恋する男たち」「星にとどく 樹」と、人生を俯瞰するような三夜にわたるリサイタル・シリー ズを東京、大阪、札幌、福岡の四都市で行った。2001年のことで ある。1960年のデビューリサイタルの時の選曲そのままの第一夜「青春」ではエネスク、シューマン、ラフマニノフ、プロコフィ エフを演奏し、第二夜「恋する男たち」ではグラナドスの大作「ゴイェスカス」とスカルラッティのソナタ、最終夜「星にとどく樹」ではシサスクの「銀河巡礼」とシューベルトが死の二ヶ月前に完成した変ロ長調のソナタを弾いた。それが終わって一ヶ月も経たないうちに、演奏中にステージで脳溢血に倒れ、半身不随になっ た。もう、演奏家としては終わりだと思った。
▼二年半の闘病生活を経てステージに復帰したとき、自分は左手のみで演奏するピアニストになっていた。でも、また演奏出来るということがただただ嬉しかった。嬉しくて嬉しくて、自分が左手だけで演奏しているとか、不便不自由であるとか、そのようなことは一切感じなかった。弾いているのは音楽なのである。片手であろうが両手であろうが、手が三本であろうが、そんなことはまったく問題にならない。 ただ、演奏出来る曲目が少なかったのは事実である。しかし、 少なければ書いてもらえばよい。間宮芳生さんの《風のしるしーオッフェルトリウム》が邦人初めての左手の作品として生まれ、 林光、吉松隆、末吉保雄、谷川賢作など多くの作曲家達がそれに続いた。アルゼンチン、アイスランド、アメリカ、フィンランドその他世界の各地からも作品が寄せられている。ピアノソロの作品だけではなく、ピアノ協奏曲や室内楽曲も誕生した。限りなく豊かな思念、詩情、情感、夢が、そして人の心を満たし動かしてくれるものが生まれ続けている。なんと有難いことだろう。(演奏生活50周年記念コンサートちらし2010より)

私たちの心に響く現実です。私はここでもパウロの言葉を思い起こします。「この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません」(5:1)。この「自由」とは、どのようなかたちであろうとも、またどのような次元、どのようなタイミングであろうとも、私たちが自分を捨て、自分の十字架を背負ってキリストに従うところで深く味わうことのできる自由です。キリストが私たちを奴隷の軛から解放してくださった。そのことを深くかみしめながら、新しい一週間をキリストと共に踏み出してゆきたいと思います。神は私たちにキリストという翼を与えてくださったのですから。

お一人おひとりの上に豊かな祝福がありますようお祈りいたします。 アーメン。

おわりの祝福

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 アーメン。

(2010年9月26日 聖霊降臨後第18主日説教 ガラテヤ書連続説教08)