エフェソの信徒への手紙 2:13-18
はじめに
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とがあなたがたにあるように。「敵意」とは何か
私たちは「敵意」ということを体験的によく知っています。それは恐怖や警戒心、怒りや憎悪、恨みや恥、復讐心、などといった感情に密接に結びついた根深い感情の一つです。敵意を持ったまなざしに不意に気づいて驚かされたというような経験は、誰しもが持っているのではないでしょうか。あからさまであるか隠された仕方であるかには違いがあるにせよ、私たちは向かいあう相手が自分に対して敵意を持っているのか好意を持っているのか、ということには意外と敏感に察知することができるように思います。これは赤ちゃんの頃からの習性でしょうか。赤ちゃんや子どもなどは、自らは全く無力であるにも関わらず、無力であるがゆえにと言うべきでしょうか、第六感とも呼ぶべきものによって自分に好意的である人を直観的に識別できるからです。それにしてもどのようなときに私たちは敵意を抱くのかを少し見てゆきたいと思います。私たちは自分の存在が脅かされるとき、自分の愛するもの、大切にしているものが傷つけられ奪われようとするとき、あるいはそのような危険を感じたときに、相手に対して強い敵意を持ちます。「敵意」とは徹底的に敵を排除しようとする感情です。それは逆に言えば、自分を守ろうとする感情であると言えましょう。敵意とは、怒りがそうであるように、極めて自己防衛的な感情であると思われます。
私たちが誰かに対して敵意を持つとき、その時は私たちは脅威を感じて自分自身を守ろうと身構えているとも言えましょう。敵意とは自分に襲いかかってくる相手に防戦するために必要な本能的な感情でもあるのです。もしこれがなかったら私たちは自分の身を守ることはできないのではないかとも思われます。生きてゆく上で適度な敵意というものは必要であるのではないか、そうでなければ私たちはあまりに無防備になってしまうことでしょう。そのように、敵意を持つことは本能的に正しいことであり、それは不可抗力なのだと私たちは深いところで感じているのではないでしょうか。もちろん、そこでは、人間が敵意と恐怖とによって支配されてしまい、暴力に対しては暴力をもっての終わりのない復讐を繰り返しあう現実の人間の愚かさ、悲惨といったものをも感じます。そのような側面を見てゆくとき、生きることはまことに辛いことであると言わなければなりません。
「キリストこそ平和」
しかし、聖書は私たちに全く違うことを告げています。平和主日の本日与えられたエフェソ書2章の日課は主イエスの生き方に沿って語られています。「しかしあなたがたは、以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近い者となったのです。実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。それで、このキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです。」
キリストはわたしたちの平和であり、二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、十字架によって敵意を滅ぼされたと告げられています。現実には「敵意」が私たち人間を分断しています。様々な次元で、一人を他から隔てる「隔ての中垣」となっているのです。敵意を持つとき、人は身を固くし、身構えます。攻撃に備え、すぐさま反撃に移れるように対処しているのです。しかし、キリストはそうではなかった。キリストの十字架は全く無力なまま、人々の敵意と憎悪のえじきとなった一人の慘めな人間の姿を表しています。「十字架につけろ」と叫ぶ群衆の前で、キリストは全く無力なままでした。そして慘めな姿で十字架に架けられてゆくのです。
しかし、その全く無力に見える十字架の出来事に、神の救いと勝利が隠されていたのだということを聖書は主の復活の光の中で告げています。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか分からずにいるのです」と十字架上で祈られた主イエス。死の激痛の中で、自分を殺そうとする者たちのために執り成しの祈りを捧げられたのです。「敵を愛し、迫害するもののために祈りなさい」とかつて語られた通りに生き、心で行かれた主イエス。敵意を捨てられたお方イエス。このお方こそわたしたちの平和であり、二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、十字架によって敵意を滅ぼされたと聖書は告げています。キリストこそ神からの和解の使者であったのです。
敵意の氾濫するこの世界でキリストを信じるということは、考えてみればたいへんなことです。自分の身は自分で守らなければならない現実世界です。「一寸先は闇」という言い方がありますが、何が起こるか分からない。しかしそのような中で、敵意という隔ての中垣が取り壊された生き方が私たちには提示されている。それはどのような生き方なのでしょうか。遠藤周作と宮沢賢治を引きながら、二つの具体的な生き方を考えてみたいと思います。
「おバカさん」のイメージ
遠藤周作の作品の中に『おバカさん』という小説があります。1959年に朝日新聞の夕刊に載った新聞連載小説です。歌舞伎町でエポペというパブをしているジョルジュ・ネラン神父をモデルにしたということですが、それはフランス人のナポレオン・ボナパルトの子孫という一人の馬面のお人よしの青年が主人公です。私にとっては、数ある遠藤周作の作品の中でも最も優れたものの一つと考えているくらい好きな作品です。ドジで間抜けで徹底的にお人よしなおバカさん。自分のことは全く省みず、人のことばかり心配して行動し、やることなすこと損ばかりしているおバカさん。
たとえばこういう場面があります。やくざにけんかを売られて、ガストンが殴られる場面です。
突然、西野の体が軍鶏のようにとびあがると、その両手、両足がガストンの腹とひざとにぶつかった。
「オウ!」
大きな体をくの字に曲げてガストンは、
「オウ、ノン、ノン、・・・チュ、マ、ヘ、マール」
「野郎」
あまりの痛さに日本語を忘れたのか、身もだえして何かうめいているガストンを、西野はさらに・・・二撃、三撃、足でけりあげる。取り巻いていた見物人はつばをのみこんで、この奇妙な風景をみていた。半分の痛々しい同情と、半分の快感と ー ちょうど小さな力道山が大きなシャープ兄弟をやっつけたときの日本人特有の快感を、群衆はたしかに味わったにちがいない。だれもガストンを助けようとはしなかった。
やがて、ガストンは大きな手をゆっくりとあげた。西野の顏をじっと見つめた。人々は、この外人が遂に怒ったのを感じたのである・・・。
けれども ー
ガストンはさしあげた両手で・・・長い山イモのオバケのような顏を覆っただけであった。顏を覆ったまま、しばらくの間、じっと動かなかった・・・。
かたずをのんで何かを期待していた見物人たちは静まり返ったまま、この異様な外人の一挙一動を注目していた。愚連隊の連中も ー 次の攻撃に移ろうとして軍鶏のような身構えをした西野もあっけにとられて、相手を見あげていた。
「オウ・・・ノン、ノン」
手を離したガストンの目から数珠玉のような涙が流れた。
「オウ、ノン、ノン、・・・いけません」
「・・・」
「なぜ、わたし・・・いじめます?」
「・・・」
まるで大きな牛が主人にむち打たれる旅に、ポロポロ泣いているようだった。鈍重な牛でも不法にいじめられれば涙を流すのである。ガストンの長い馬面にはその牛の暗い悲しみがいっぱいにあふれていた。
「チョッ、大きな図体をしてヨ、泣きやがってヨオ・・・」
愚連隊の一人が ー 手に玩具をもてあそんでいた例の白痴のようなチンピラが、吐きすてるように言ったが、その声はしらじらと流れていった。
「みんな、友だち・・・」ガストンは途切れ、途切れに訴えた。
「みんな、友だち・・・」
「・・・」
「なぜ・・・なぜ・・・」
「・・・」
「なぜ・・・なぜ・・・」
見物していた日本人たちは顏をそむけて散らばりはじめた。上着を肩にひっかけていた愚連隊の兄貴もプイと・・・うしろをむくと歩きだした。なぜかわからぬが、だれもが後味の悪い屈辱感に心をみたされていた。なぜかわからぬが、だれもが寂しさとも悔いともつかぬものに胸をしめつけられていた。
(遠藤周作全集5『おバカさん』、新潮社、p52-3)
この無力で心の優しいガストン・ボナパルトという一人のおバカさんの姿の中に、イザヤ書53章に預言されている苦難の僕のイメージが重なってくるのです。そしてそれは、とりもなおさず、あの十字架のキリストのイメージなのです。
わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。
主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。
乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように、
この人は主の前に育った。見るべき面影はなく、
輝かしい風格も、好ましい容姿もない。
彼は軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負い、
病を知っている。彼はわたしたちに顔を隠し、
わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。
彼が担ったのはわたしたちの病、
彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに、
わたしたちは思っていた、神の手にかかり、打たれたから、彼は苦しんでいるのだ、と。
彼が刺し貫かれたのは、わたしたちの背きのためであり、
彼が打ち砕かれたのは、わたしたちの咎のためであった。
彼の受けた懲らしめによって、わたしたちに平和が与えられ
彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。
(イザヤ53:1-5)
「デクノボー」のイメージ
全くのお人よしで、自分のことは全然考えず、すべてを人々に与え尽くし、十字架へと掛けられていったイエス。それは宮沢賢治の「デクノボー」にも通じる世界でもありましょう。遠藤周作も実は、先に引用した愚連隊に殴られる直前の場面で、ガストンを「でくのぼう」と呼んでいるのです(p52)。宮沢賢治があの「雨にも負けず、風にも負けず」という有名な詩を書いたときには、十字架のキリストの姿を思い描いていたのではなかったかと私には思えてなりません。そして遠藤周作は「おバカさん」の中にキリストとデクノボーとの両方のイメージを思い描いていたことでしょう。「雨にも負けず!」 宮沢賢治
雨にも負けず 風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ 丈夫な身体を持ち
欲はなく決していからず いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と味噌と 少しの野菜を食べ
あらゆることを自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり そして忘れず
野原の松の林の蔭の 小さな萱葺きの小屋にいて
東に病気の子供あれば 行って看病してやり
西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば 行って怖がらなくてもいいと言い
北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろと言い
日照りのときは涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
皆にデクノボーと呼ばれ
ほめられもせず 苦にもされず
そういうものに 私はなりたい
多くの説明はいらないでしょう。私たちはただ、キリストが十字架においてそうであられたように、人と人との心をつなぐ和解の務めを委ねられているということです。敵意という隔ての中垣を突破するためには、この「デクノボー」のような、「おバカさん」のような、お人よしで、自分を無にすることに一途で、雨にも負けず風にも負けずに愛に生き、ひとすじの信仰を貫く姿勢があればよいのです。そしてそれらが他の人から認められなくてもよい。見えないところを見ていてくださる神さまだけはご存知だからです。
そしてキリストの十字架は、そのような生き方がたとえどのような困難な状況の中にあっても可能であるということを私たちに示しています。キリストこそ私たちの平和であり、私たちのために「おバカさん」に、「デクノボー」になってくださった。このような他に対して開かれた生き方こそ、私たちの模範であります。
自分のことを忘れて人のために生きる。そのような生き方の中に私たちは、ハッとしてホッとするような、さわやかな風を感じるのではないでしょうか。イエスさまご自身の「受けるよりは与えるほうが幸いである」という言葉が使徒言行録の20章に記されていますが、私たちもどこかで自分のことを忘れて、損をしながらも、人のために生きるという部分があるのだと思います。家族のため、仕事のため、友人のため、趣味のため、ボランティアのため、教会のため、様々な次元で私たちは、おバカさんでありデクノボーであってよいのです。
聖餐への招き
本日は聖餐式にあずかります。私たちは主の恵みの食卓に招かれています。ご一緒に分かち合われるパンとぶどう酒を味わいたいと思います。私のためにあの十字架の上にかかり、敵意という隔ての中垣を打ち砕いてくださったお方の力にあずかりたいと思います。ここにおいてこそ、私たちを平和の噐として生かす神の力の源があるからです。新しい一週間の歩みの上に、キリストの力が宿りますように。 アーメン。
おわりの祝福
人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように。 アーメン。(2002年 8月 4日 平和主日聖餐礼拝 説教)